旱鴨子は深藍に向かうのか?(全2回/第1回)

山内 敏秀

はじめに
 尖閣諸島を巡る日中の関係は改善の兆しもなく、厳しい対立が続いています。
 尖閣諸島の問題はより広く海を巡る日中の対立と見ることもできます。
 表題の旱鴨子というのは中国語で泳げない人、すなわちカナヅチを意味する言葉で中国海軍初代司令員蕭勁光が毛沢東から海軍の領導機構設立を命じられたときに断りの言葉として使用したものです。
 旱鴨子だった中国海軍が藍色海洋を目指し、最近では深藍という言葉が多く使われています。
 これまでの中国は日本列島から南西諸島、台湾、フィリピン群島、大スンダ列島とつながる第1島嶼線を海の長城として敵、特に米国の侵入を阻止し、300万平方キロメートルの海洋管轄権を確立しようとしてきました。
 300万平方キロメートルの海洋というのはおおむね黄海、渤海、東シナ海、南シナ海を合わせた海域と考えて良いようです。
 しかし、エネルギー事情から中東の石油への依存度が高くなってきたなど様々な要因から中国海軍は外洋への進出の要求が大きくなってきました。その時、第1島嶼線という海の長城は中国の艦隊を海の長城の内側に封じ込めてしまう両刃の剣だったのです。中国海軍の艦艇が外洋に展開し、自由に行動するためには第1島嶼線に自由に利用できるアクセス・ポイントが不可欠なのです。
 下の図において例えば目を上海の付近に置いていただければ、外洋に展開したい中国にとって第1島嶼線がいかに邪魔な存在であるかがおわかりいただけると思います。付け加えておきますと第1島嶼線の内側で東シナ海は沖縄海盆と呼ばれるところが深くなっているだけでほとんどが非常に浅い海域なのです。これに対し、南シナ海は海南島の沖合などはすぐに深い海域に到着することができます。


出典:米国海洋気候局 米国地理データセンターETOPO1から作成


 平成16年10月にいわゆる石垣水道での「漢」級原子力潜水艦の領海侵犯事件、細部は後ほど述べますが今年に入ってから北海、東海、南海の各艦隊が行った遠海訓練においてバシー海峡、いわゆる宮古水道を通過したことが中国海軍報に取り上げられていることなどはアクセス・ポイントを探して瀬踏みを行っていることを自ら認めているようなものと考えています。
 今回は、最近の中国海軍の動きから筆者が興味を覚えた事項をいくつか取り上げてみたいと思います。

1 中国国防白書と各艦隊の遠海訓練
  2013年4月に中国は、国防白書「中国武装力的多様化運用」を発表しました。その国防白書では訓練・演習に関する項目の海軍の部分の最初の言葉が「遠海訓練を進める」となっています。そして、2007年以降、20回近くの遠海訓練を西太平洋で実施し、延べ90隻以上の艦艇が参加したとしています。
 それを裏付けるように南海、東海、北海の各艦隊は相次いで遠海訓練を実施しました。
  南海艦隊は3月19日から4月3日にかけてミサイル駆逐艦「蘭州」、ミサイル・フリゲート「玉林」、「衝水」及びドック型揚陸艦「井崗山」と1個陸戦隊中隊等が参加して聯合機動部隊遠海訓練を実施しました。
  21日には島嶼への上陸侵攻訓練、23日には南沙諸島の渚碧礁、南薰礁及び東門礁巡航、27日には捜索救難訓練や電子戦訓練を実施し、28日に洋上補給を行ってバシー海峡を抜けて太平洋に進出、実弾射撃訓練を実施した後、4月1日にバシー海峡を通峡して南シナ海に戻り、3日に海南島にある三亜という軍港に帰投しています。
 「江衛Ⅱ」級ミサイルフルゲート「懐化」、「江滬Ⅰ」級ミサイル・フリゲート「仏山」、総合補給艦「千島湖」から編成された東海艦隊の遠海訓練部隊は5月6日に出港し、正確化、精細化をキーワードに航続力と自己完結性の向上を目的として戦略的哨戒(原文:戦略巡邏)、昼夜連続航行、総合的な戦闘訓練(原文:総合攻防)、RAS(原文:遠海補給)、空水協同訓練(原文:艦機協同)、非戦争軍事行動訓練などを行いました。
  この間に西水道、バシー海峡を通峡しています。西水道というのは与那国島、西表島、仲之神島の間にある水道で、5月7日には与那国島の北東44Kmを航行中の同部隊を海上自衛隊のP3Cが捕捉しています。
 5月25日には、ミサイル駆逐艦「青島」、ミサイル・フリゲート「臨沂」と総合補給艦「洪澤湖」で編成された北海艦隊の遠海訓練部隊が霧に閉ざされた青島軍港を出港しました。「青島」は中国海軍ではじめて世界一周の航海を行ったことで有名で、「臨沂」は昨年9月に就役したばかりの「江凱Ⅱ」級ミサイル・フリゲートの12番艦です。
この部隊は、27日宮古水道を通過して太平洋に進出しています。
 中国海軍網はわざわざ「北海艦隊遠海訓練編隊穿過宮古水道」というヘッドラインを設けてこの訓練部隊の宮古水道通過を報じています。言うまでもなく5月27日に日本の聯合艦隊がロシアのバルチック艦隊を完膚無きまでに撃破した日本海海戦の日で、戦前は海軍記念日でした。その日を選んで通峡したのではと考えたくなる事象でした。
  2013年、既に中国の艦艇は5回にわたり宮古水道を通過していると報じており、遠海訓練も常態化し、2012年には7回が実施されたとしています。
  遠海訓練を実施したのは水上艦部隊だけでなく潜水艦部隊も実施しています。KILO級潜水艦の発展型と言われる「元」級潜水艦の1隻が遠海訓練を実施し、対抗演習形式で水上対潜部隊の攻撃からの回避、反撃訓練、突差魚雷戦などの訓練を行ったと5月9日付で報じられています。
  遠海訓練に関して、もう一つ話題を加えておきたいと思います。
  ご記憶の方もおられると思いますが、2012年8月、米海軍大学のホルムズ教授が『フォーリンポリシ』という雑誌に‘The Sino-Japanese Naval War of 2012’という論文を発表しました。この副題は「まず起こることはないだろうが、もし起こったらどちらが勝つか」というものです。教授の結論は2012年の時点に限って言えば日本が有利としています。その理由のいくつかの一つとして、中国海軍は航海や訓練の時間が短く、乗組員が専門の技能を学んだり、行動のリズムを作ったりする機会が少ないと指摘しています。これに対し、中国海軍の東海艦隊のある駆逐艦支隊の指揮官である王建勳は、将兵の80%が海外へ出ており、50%が5カ国以上の外国を訪問し、艦艇は3大海洋を航行しているとして中国海軍の将兵は自信を深めていると反論しています。遠海訓練の拡大もホルムズ教授への反発があるのかもしれません。

2 空母「遼寧」、訓練・試験航海に出港
  2012年9月に就役した空母「遼寧」は未完成の状態で中国に曳航されてくるときから世界の海軍関係者の関心を引いてきました。
  11月には搭載予定の殲-15(J-15)戦闘機の発着艦に成功しています。
  4月19日付の中国軍網には「遼寧」の艦内の画像が掲載されており、ビュッフェスタイルの乗員の食堂、洗濯機室、男女各1名の乗組員がキャスターを務めるテレビ放映室、郵便局、売店(棚が空いているのが気になりましたが)医務室が紹介されています。
(中国では画像の引用は大変に厳しく、単に出典を明示しただけでは問題を起こしかねませんので、ここでは引用しませんが関心のある方はbbs.chinamil.com.cn/forum/detail.jsp?id=739593を参照してみて下さい。)
  その「遼寧」について興味を引くのは5月10日に艦載航空部隊がはじめて編成され、呉勝利海軍司令員から軍旗が授与されたことです。
  中国はこれによって試験の段階から要員養成、空母への搭載段階に入ったとしています。
  艦載航空機の搭乗員については2012年に5名のパイロットが空母への発着艦に成功したとされています。「遼寧」が今後どのように運用されるかによって搭載機数も変わってくるのでしょうが、ロシアの例を元に搭載機数を推測してみると20機程度と思われます。通常、航空機1機に対し、パイロットは1.5名を確保すると言われておりますから少なくとも「遼寧」のためだけでも30名のパイロットが必要になる計算です。さらに国産空母の建造が見積もられており、中国海軍の副司令員も後2隻と発言しています。そうすると約100名規模のパイロットが必要で、さらに教官要員、陸上の配置にも搭載航空機のパイロットを配置していかなければなりません。それに悲しいことではありますが、事故によるパイロットの減耗ということも考えなければなりません。米海軍が空母のジェット機を導入したときには1年に800名を超える貴重な命が失われました。今日でも20名くらいの犠牲が出ているようです。このように考えると空母の戦力化はまだ前途遼遠と言わざるを得ません。
  先ほど、5名が発着艦に成功したと言いましたが、その内の1/3が海空雄飛団出身のパイロットと紹介されています。飛行時間は1000時間以上、第3世代航空機の飛行時間は500時間以上と言われています。航空自衛隊では飛行時間800時間以上あるとフライト・リーダーに就くことができるとのことでパイロットとして一番脂の乗り切っているときと言うことでできるようです。(一方で天狗になって事故を起こしやすい一番危険な時期でもあるとの指摘もあります。)
  海空雄飛団というのは東海艦隊に所属する海軍航空兵第4師第10団に与えられた名誉称号で、同団は元々人民解放軍所属(と言うことは陸軍所属と言い換えて良いと思います)の航空部隊で、朝鮮戦争において米軍には勝てないという神話を覆し、13機を撃墜、3機を撃破するという戦果を挙げました。1954年には海軍に隷属替えとなり、その後も続いた国民党、米国との戦闘において戦果を重ね、国防部長から海空雄飛団という栄誉称号が贈られました。

(第1回 了)