「特集・集団的自衛権」

今こそ問う!「集団的自衛権」(2)
-10の本質的論点について香田洋二氏に聞く-

聞き手:山田道雄理事

 当コーナーでは、「賛成・反対を言う前の集団的自衛権入門」(幻冬舎刊)の著者で、自衛隊第一線部隊指揮官の経歴を持つ元自衛艦隊司令官香田洋二氏に、10個の本質的論点についてインタビューし、1問1答の形で10回に分けて配信します。


香 田 洋 二 氏 略 歴

2006年、佐世保地方総監当時
(ウィキペディアから)

1949年 徳島県出身
1972年 防衛大学校卒(16期)、海上自衛隊入隊
1990年 護衛艦さわゆき艦長
1992年 米海軍大学指揮課程修了
1996年 防衛庁海上幕僚監部防衛課長
1999年 第3護衛隊群司令
2001年 防衛庁海上幕僚監部防衛部長
2003年 護衛艦隊司令官
2004年 防衛庁統合幕僚会議事務局長
2005年 佐世保地方総監
2007年 自衛艦隊司令官
2008年 退官
2009年 ハーバード大学アジアセンター上席研究員
    (Senior Fellow)に招聘
現 在 ジャパン マリンユナイテッド(株)顧問
    国家安全保障局顧問



論点②:「集団的自衛権の行使は憲法違反なのか?」


― ほとんどの憲法学者は集団的自衛権の行使は憲法第9条に違反すると主張しています。
香田 安保法制に関する様々な論点の中でもこれが最大の争点だと言えるでしょう。特に憲法学者からは根強くこの問題提起がなされています。
 しかしこのような批判には、1つの重要な論点が隠されています。それは憲法第9条によって集団的自衛権の行使に歯止めをかけたい憲法学者の多くは、そもそも自衛隊の存在そのものは違憲だと考えているということです。
 日本国憲法第9条は、国際紛争を解決するための手段としての「戦争」と「武力行使」を放棄し、「戦力の保持」と「交戦権」も認めていません。そのため発足当初から、自衛隊を違憲とする議論はありました。しかし他方で、憲法前文は平和的生存権を第13条は幸福追求権を規定しており、そこからはわが国が自衛権を有していることが導かれます。
 さらに国際法たる国連憲章はすべての国に自衛権を認めており、そのことも、わが国が自衛隊を有する根拠の1つとなっています。国連憲章が認める自衛権には、集団的自衛権も含まれているのですから、日本がその行使を容認することに何の問題もありません。
 したがって、自衛隊の存在を合憲と認めるなら、論理的な帰結として、日本が集団的自衛権を行使することも合憲と考えるのが当然です。もし、集団的自衛権の行使が違憲だと主張するなら、それ以前に自衛隊の存在自体についてあらためて議論すべきでしょう。
 そして現実の問題として、すでに日本の自衛隊は、世界の安全保障環境の中で大きな存在感を持っています。もしこれが消滅したとしたら、世界のパワーバランスはガラリと変わってしまいます。それによって一番得をするのは、海洋進出を目論む中国にほかなりません。そうなれば、ASEAN諸国をはじめとして、多くの国々が困ることになります。もし日本が自衛隊をなくすとしたら、世界中から「考え直してくれ」という声が殺到するに違いありません。


― 国会の論議を聞いていると「憲法違反」の神学論争に陥っている感があり、一般の国民には分かりにくいものになっています。
香田 もちろんそのような現実とは別に、憲法に書かれた条文を純粋に解釈する学問としての立場もあるでしょう。それはそれで社会にとって必要なものだと思います。
 そういう分野と現実の安全保障の世界はある意味で基礎物理学と工学に似ていると言えるかもしれません。工学の世界には、物理学ではその原理や法則が100%解明されているわけでもないにもかかわらず、「やってみるとうまくいくこと」がたくさんあります。
 たとえば自動車の世界には、工場で大量生産される商品とは別に、腕のいい匠(たくみ)によってチューニングされるレーシングカーのようなものがあります。そこには数字や数式で説明できない微妙な感覚があり、匠がネジをちょっと回転させると振動防止がうまくいき、全体のパフォーマンスが最適化されたりする。ロケットの生産過程などにも、そんな要素がいくつもあることでしょう。
 「物理学や数学で100%証明できないやり方で物を作ってはいけない」などという人はいません。ところが自衛隊や集団的自衛権の問題になると、「こうすればうまくいく」という現実を脇に置いて、純粋な法理論だけの観点から、「こんなものは存在してはいけない」と主張する人々がいるのです。これは論理的ではあるのかもしれませんが、現実を踏まえた合理的な判断とはいえません。
 それに、国際法であれ国内法であれ、そもそも書かれた条文には解釈の幅というものがあります。法律の条文と現実の世界は、一対一対応で決まっているわけではありません。たとえば刑法の条文は昔からほとんど変わりませんが、その解釈は時代の変化に応じてフレキシブルに変わってきています。憲法解釈だけがそうなってはならないということはありえません。


― その憲法の解釈を変えることについても批判がありますが。
香田 これまでも憲法の解釈は変わってきました。その最大のきっかけは、日米同盟が始まったことです。戦後に日本国憲法ができたとき、日本とアメリカが同盟を結ぶなどということは考えていませんでした。敗戦国と戦勝国の関係であるにもかかわらず、自衛隊の前身である警察予備隊が発足し、両国が軍事的な同盟を結ぶことになったのですから、憲法の解釈が変わるのは当然です。
 しかし、当初は自衛隊そのものの力が足りなかったので、自衛権について明確な解釈をする必要がありませんでした。「集団的自衛権は保有しているが行使しない」との政治見解が表明されたのは、自衛隊が発足してから十数年を経てそれなりに能力を身に着けた1972年のことです。
 そして今回改めて憲法の解釈を見直す試みがなされました。その背景にあるのは軍拡を続ける中国の台頭であり、集団的自衛権の行使容認はそれに対する抑止力としてきわめて有効な手立てです。


― 9条もさることながら、憲法前文についてはどのように考えればよろしいのでしょうか。
香田 憲法を盾に今回の安保法制を批判する人々は、憲法の前文をあらためて読み直したほうがよろしいのではないでしょうか。そこには「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と書かれています。
 前にも述べたように、ペルシャ湾掃海作業やPKO活動への自衛隊の派遣において集団的自衛権の行使を認めてこなかった日本が、いかに「国際社会において不名誉な地位」に立たされてきたかを考える必要があります。そのために、自衛隊が戦闘地域から、やむなく「逃げる」(下衆な言葉で申し訳ありません)ことがあることを前提として後方支援をしたり、世界から期待される機雷除去能力を封印したりするなら、私はこれこそ一種の「違憲」だと思います。
 集団的自衛権の行使を認めることは、前文に示された憲法の精神そのものを尊重するためにも求められているのです。改めて申し上げますが、前文も第9条も同じ重みをもった憲法の条文なのです。
(第2回了)