3.11に想う―「初動(独断専行)」
(阪神淡路大震災海自災害派遣部隊指揮官)
元呉地方総監 加藤 武彦

 「防衛出動はじっくり、災害派遣は早く」「情勢不明の中で行動方針を決めなければならない時は偉大なる常識に従え」。 これは私のかつての上官であった自衛艦隊司令官のある会議での言葉です。
 平成7年1月17日05:46阪神淡路大震災が発生、社会インフラ、生活システムが突然崩壊し通信網も途絶、行政も機能喪失、人々の安否も分からない大混乱の中でこの言葉の通りに部隊を動かすことを決心しました。人命救助は初動が勝負、そして48時間以内。部隊を編成し、指揮系統を確立し、行動方針を立案して発動などという時間の余裕はありません。
 初動の初動にあっては現場(指揮官)が「今やるべきこと、今やらなければならないこと」を考え行動する他はないのです。現場指揮官を信頼し(日頃から信頼関係を構築しておき)任せることが肝要です。各部隊の初動をまとめて行動の目的を明確に示し、更に大規模な行動へとまとめていく。これが上級部隊指揮官であり、各部隊の行動を抑えてはいけません。
 阪神淡路大震災における海上自衛隊の救援行動において、阪神地区に所在する海上自衛隊の唯一の部隊である阪神基地隊の存在は大きかったのです。同隊(司令)は地震発生の17分後の06:03、上級指揮官である呉地方総監に被害情報を迅速的確に報告し、総監の部隊行動方針の決定に大いに貢献すると共に、れい下の掃海部隊を姫路港に急派し陸上自衛隊第3特科連隊の神戸進出に備え、水中処分隊(潜水部隊)により神戸港岸壁付近の水中状況を調査し来援部隊の為の岸壁を確保し、液状化現象にあえぐ基地を維持し、更に陸上自衛隊第3特科連隊に海上自衛隊艦艇部隊、基地隊等から約260名の隊員を派遣し、同連隊長の指揮下で人命救助活動を行い8名の被災者を救助する等初動における同隊の活動は称賛に値するものでした。
次は3月2日であったと覚えていますが、災害派遣活動も峠を越えたところで、阪神基地隊に進出して災害派遣部隊を指揮していた呉地方総監が、呉に帰投する際に阪神基地隊員に残した訓示です。

訓  示

 大震災により、多くの兵庫県民の皆様が肉親を、住宅を、そして職を失われたことに対し心からお悔やみ申し上げると共に、この深い悲しみの中から復興に向けて懸命の努力を続けておられる事に対して最高の敬意を表したい。
 さて阪基隊員の諸君、阪神基地隊は海上自衛隊における唯一の被災部隊であるにもかかわらず、これらの方々の支援に全てを傾注した。私事を後事として、自らの家族、住居が傷ついているにもかかわらず部隊に復帰してくれた。この使命感こそが海上自衛隊災害派遣部隊の活動の根源となったのである。
 海上自衛隊にとって、航空機よりも、艦艇よりも大切なものがある。それは使命感である。「自衛官の心構え」の第1にある「使命の自覚」を諸君は身をもって示してくれた。特に、総監が幕僚と共に現地指揮所を阪基に設置するまでの二日半、諸君は仲摩司令統卒の下、陸上自衛隊と緊密な連携をもって生存者救助にあたり、来援部隊の為の岸壁を確保し、液状化現象にあえぐ基地を維持し、以後の部隊活動の基盤を確保してくれた。諸君の努力により阪基がその機能をギリギリのところで保ってくれたことにより、総監は災害派遣部隊を指揮し、救助活動、糧食配送、給水確保の活動の采配を振るう事が出来たのである。
 諸君たちの多くは何らかの意味において被災者である。それにもかかわらず、不満ひとつ洩らすでもなく、泣き言をいうこともなく常に明るく任務にまい進してくれた。君たちのエピソードをひとつひとつ披露することはかなわぬが、それらを総監はしっかりと覚えている。災害派遣はいつまで続くのか分からない。兵庫県知事から撤収の要請があり、災害派遣部隊の編成が解かれるまで整斉と任務を続けてくれたまえ。
 阪神地区に所在する海上自衛隊唯一の部隊として諸君の手で最後の幕を閉じてもらいたい。それが兵庫県民、神戸市民に対する諸君の責任であると思う。
 総監も呉にあって災害派遣部隊の指揮を執り続ける。諸君と最後まで共にある。仲摩司令統卒の下大いなる健闘を期待している。総監は諸君を誇りに思う。
 「ウェル・ダン」よくやった。

 昨年3月11日に発生した東日本大震災は、阪神淡路大震災に比し、津波による大被害、原発事故、広域、水中状況不明等救助活動の困難さは比較にならないものであったでしょう。
 12日早朝から海自災害派遣部隊は宮城県沖で捜索救難活動を、米海軍は「ロナルド・レーガン」等8隻の艦艇部隊により「トモダチ」作戦を開始、14日には自衛隊統合部隊が編成され、陸上、海上において大規模な救援活動が行われた結果、大いなる成果を上げました。推察ですが、日頃から共同訓練を繰り返している海上自衛隊と米海軍との現場調整は何の問題もなく淡々と実施されたと思います。むしろ難しかったのは統合任務部隊と海災部隊、統合任務部隊レベルでの米軍との作戦調整だっただろうと思います。初めての作戦であり、調整所も常設されている訳でもなく、マニュアルもなかったでしょうから調整には相当手間取ったのではと推察しています。といって情勢の変化は待ったなしです、調整が終わるまで待っている訳にはいかないのです。その間は「今やるべきこと、今やらねばならないこと」を考えて独断専行あるのみです。
 海上自衛隊において独断専行とは「情勢不明かつ上級指揮官の指示を受ける事が出来ない情況にあって、自ら考え行動し、行動の結果が上級指揮官の所望結果と合致していること」を言います。初動において最も大切なことはこれです。そして失敗したら自分で責任をとることです。きっと海上自衛隊の初動は見事だったのであろうと思っています。(了)