3.11出動自衛隊指揮官の手記1
福島第一原子力発電所への空中放水
第1ヘリコプター団
第1輸送ヘリコプター群
第104飛行隊長
2等陸佐 加藤憲司
はじめに

 東日本大震災において亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
 また、いまだ行方不明の方々、被災後まだ復旧の途にあり、避難生活を余儀なくされている方々が早く元の生活に戻れるよう微力ながら応援させていただきます。被災地の皆さん頑張ってください。そして、大震災の際の海外からの多くのご支援・応援に日本人として、心から感謝いたします。

1 放水任務の経緯

 3月11日の地震発生から、経過を追って説明したいと思います。
 地震発生時、私は、隊長室で執務をしていました。突然の大きく長い揺れを感じ、とっさに「窓・ドアを開けろ」と言って地震が落ち着くのを待っていました。
 地震が落ち着いてから、隊員・装備品・施設等の被害状況の把握に努めると同時にテレビから流れてくる映像を見てその被害が甚大であることを認識しました。特に、津波で車両が大量に流されている映像を見て、私の地元が宮城県の沿岸部ということもあり、とてもショックを受けたことを覚えています。
 地震当日、我々の飛行隊は、救難待機部隊(災害等があった場合、すぐに飛行できる態勢を取っている飛行隊)ではありませんでしたが、上級部隊からすぐに霞目飛行場に向かうよう指示があり、気持ちを入れ替えて、航空機の点検及び任務に必要な資器材等を準備して、救難待機部隊のCH-47に遅れること約1時間後の1700過ぎにCH-47×3機で、霞目飛行場に向かいました。
 この時、私は任務のための資器材を搭載して現地に向かい、その他の物については現地の部隊の支援を受ければいい、「とにかく早く現地に」という気持ちが先立っていました。しかし、航空機を準備している段階で、ベテランの陸曹が、任務資器材のみならず、天幕・ストーブ・食糧等、あるだけのものを大急ぎで航空機に積載してくれていました。
 そして、その日の夜半過ぎには、第1輸送ヘリコプター群の3コ飛行隊が霞目飛行場に展開しました。当初、既存の施設を間借りしてしましたが、すぐに避難された方々の収容のために、施設はいっぱいになり、しばらくの間は、我々は自隊で携行した天幕等を使用していました。最終的に霞目飛行場を撤収するまで、携行したほとんどの資材を現地で使用しました。
 改めて、彼らの適切な判断に感謝しました。これまでの災害派遣や訓練等で培われてきた、ベテランとしての経験等の素晴らしさを感じました。
 現地では、翌朝から本格的に活動を開始しました。任務は、避難民の空輸、患者の空輸、生活必需品等の空輸、山林火災の空中消火、自衛隊の部隊の空輸、又は、首相や政府調査団の空輸等様々な任務を休みなく悪天候の中でも実施していました。
 また当初は、とにかく航空機だけは、すぐに霞目に向かうということで、航空機を運航するクルー+α程度の人員のみで現地に向かいましたが、翌日早朝には、木更津から航空機への燃料補給等のため、タンクローリー等数両が霞目に向かってきていました。
 この際、運用訓練幹部(飛行隊の運用及び訓練等を主担当する幹部)もタンクローリーに一緒に同乗して、霞目に駆けつけてくれました。霞目に到着した隊員の自信に満ちた顔を見て力強く感じるとともに、胸が熱くなる思いでした。
 また、木更津駐屯地にも津波の被害がありましたが、副隊長以下木更津に残った隊員は家にも帰らず、津波への対応や可動機確保のため航空機の夜間整備等寝食を惜しんで実施していました。被災地においても木更津においても、飛行隊が一丸となって、必死に災害活動を実施していたことを思い出します。
 このような活動中、3月12日、報道等から福島第一原発が緊急事態であることを知りました。まだこの段階では、第1輸送ヘリコプター群は原発安定化のために直接ヘリコプターで何かを実施するということはなく、福島第一原発への資材空輸や周辺の病人の空輸等の任務を実施していました。
 そして、3月14日夜、上級部隊から、福島第一原発安定化のためヘリコプターで直接的な活動がある旨を指示され、緊急の患者の空輸から各種必要な物資の空輸等様々な任務を予想しつつ準備を進めました。また、チェルノブイリの原発事故の際は、空中からホウ酸を投下したということも聞いていました。このため、空中からのホウ酸の投下や冷却のための空中からの放水による原発の安定化が検討され始めました。
 この時、第1輸送ヘリコプター群は、1コ飛行隊が八戸、1コ飛行隊が百里、そして、2コ飛行隊基幹が群主力として、霞目に展開し活動していました。そして、原発安定化のための活動を継続的に実施していくために、霞目に展開する2コ飛行隊を交互に運用して、原発対応の任務に当たるということが決まりました。
 3月15日には、霞目に展開していた他の飛行隊に、放水についての準備指示がありました。我々の飛行隊は、CH-47×1機基幹(CH-47×1機とそれを運航するクルーを含めたもの)と原発での放水後にJビレッジで航空機への燃料補給等を実施する要員の差出しが命ぜられました。
  任務を担当する飛行隊は、翌日の3月16日午前中に空中からの放水訓練を実施し、午後から放水任務に向かいましたが、原発上空の放射線量が高いということで、その日の任務は中止となりました。
 その日の夜、翌日の3月17日に任務を担当する飛行隊が我々の第104飛行隊に交代になりました。放射線量や水素爆発等の状況は変わらないという状態で、どのようにすれば、安全に任務を実施出来るか検討しました。最終的には、放水の高度を前日よりも高めに設定するとともに、原発上空で停止して放水するのではなく、ある程度前進速度をもって放水するという計画で翌日の任務に臨むことにしました。
 当時、ヘリ群長と群の幕僚は、朝方まで必死になって、どれ位の高度・速度であれば、被ばく量がどれ位で、安全に任務を遂行できるかを細かにシミュレーションし、適切な戦闘指導(アドバイス)をしていただき、私もある程度の腹案をもって任務に臨むことができました。無事任務を完遂できたのも適切な戦闘指導のおかげだと、今でも非常に感謝しています。
 3月17日は、0400より航空機の準備を進め、0856霞目飛行場を離陸し、福島第一原子力発電所へ空中からの放水活動に向かいました。


2 準 備
(1) 装 備
ア 編 成

 空中からの放水のためのCH-47J×2機の他、原発上空の放射線量を測定するためのUH-60JA×1機、また、隊員が許容量を越えて被曝した場合速やかに病院へ搬送するための後送機としてCH-47JA×1機、更に、放水のための航空機に不具合が生じた場合のための予備機としてCH-47J×1機が地上待機していました。合計、空中からの放水機×2機を含め、航空機×5機が任務のため編成されました。
 また、Jビレッジには、燃料補給等のためにタンクローリーを派遣するとともに、検知・除染のための部隊が待機していました。

イ 航空機

 航空機の機体の準備は、放射能による被曝を最小限にするため及び放射能を帯びた塵等が侵入するのを防ぐための処置を実施しました。航空機の操縦士及び整備員が位置する場所には、放射線を遮断する鉛の板やレアメタルのシートを敷き詰め、空中からの放水の際、航空機の下方の大きな開口部(通常、空中からの放水の際には、整備員が懸吊物の状態を確認したり、地上の状態を確認して放水を実施)には、アクリル板を敷き、密閉し準備をしました。

ウ 人 員

 人員については、通常の飛行服装に加えて戦闘用防護衣、防護マスク、更に、約20kg近くある鉛のスーツを装着して航空機に乗り込みました。
 更に、被曝する可能性を考慮して、任務に関係する者は、ヨウ素剤を服用して任務に臨みました。特に服装については、普段から装着して飛行していないので、装着するにも多くの時間を費やしました。又、操縦等への影響はとても大きかったと感じています。

(2) 訓 練

 飛行隊としては、空中からの原子力発電所への放水のための事前訓練は、実施することができませんでした。実施していないというよりは、実施する時間がなかったというのが正しいかと思います。ただし、前日に他の飛行隊に配属された者については、防護マスク等を装着しての航空機のエンジン始動までは実施していました。ただ、空中からの放水については、山林火災における災害派遣や空中消火訓練等で実際に飛行を実施しているので、特に障害となったのは防護マスクや鉛のスーツだったと思います。

(3) 放射線教育等

 放射線に関する教育については、飛行隊内で知識を有する者が教育を実施しました。内容は、放射能に関する事項(放射能の特性や被曝量に応ずる身体への影響等)、線量計の使用方法等についてです。ただし、この教育を受けたから、100パーセント安全・安心ということではなかったと思います。しかし、ある程度の判断基準を得る事が出来たと思います。

(4) その他

 以上のように、万全の態勢を取って、任務に臨みましたが、この様な態勢を取るために、必要な資材を調達したり、また、夜中に輸送したりと多数の方々が努力してくれたおかげで準備が進み、安全に任務ができたと考えています。これは、それぞれ担当している方々が強い責任感をもってそれぞれの任務を確実に実施してくれたからだと思います。当時は、そこまで考えるほど余裕はありませんでしたが、任務を無事終了して、時間が経つにつれて、改めて、自衛隊の組織力の素晴らしさを感じました。

3 実施(任務遂行)
(1) 1回目(16日)の任務

 第1輸送ヘリコプター群内の他の飛行隊が、空中からの放水のため現地に向かいましたが、事前のモニタリング結果から放射線の線量が高いということで、原発への推進途中で任務は中止となり帰投しました。

(2) 2回目(17日)の任務
ア 隊員の人選

 隊員の選定については、希望者を募って人選をしたのではなく、現地に派遣されている者の中から、本人の能力、意思、じ後の任務等を考慮して操縦士及び整備員を選定しました。

イ 隊員の反応

 隊員の反応は、目に見えない放射能ということでやや不安そうな者、国の一大事であり是非とも任務を遂行したい者等、反応は様々でした。ただ、任務についた隊員からは、色々な思いを持ちながらも、任務にまい進する気持ちをとても強く感じました。

ウ 指揮官としての苦悩

 特に苦悩は、ありませんでした。実際に日ごろから一緒に勤務している隊員と重要な任務が出来るという思いが強かったと思います。
 一緒に行けなければ、多分それが一番の苦悩となったと思います。

エ その他

 結果的には、福島第一原子力発電所への空中からの放水は、1回の任務(CH-47×2機、各機2回、延べ4回の放水)のみで終了となりましたが、当時は、このような任務がある程度の期間、継続するだろうと考えていたので、霞目飛行場に帰ってからも次の任務のことが頭にあり、すぐに「ほっと」することはできませんでした。実際に地上からの継続した放水・注水態勢が確立した後もしばらくの間、上空からのサーモグラフィ撮影(上空から各原子炉の温度を撮影)の任務は継続しました。

4 任務を振り返って思うこと

 正直なところ、本任務に参加した隊員が任務を終了して、霞目飛行場に無事帰ってきたこと、また後日、内部被曝検査も含め異常がなかったことを確認してほっとしています。そして、この任務を実施した隊員一人一人をとても誇りに思います。
 又、任務達成のため昼夜も問わず尽力してくれた方々、更に、自衛隊の任務を理解して、災害派遣全期間を通じて、応援してくれた隊員ご家族の方々には感謝しています。私の個人的な話ですが、原発の任務に行った際も、妻が「家の方は大丈夫だから、がんばって仕事をして」と言ってくれて当時は安心して災害派遣に専念できました。後から聞いたら実際は大変だったみたいです。本当に感謝しています。
 災害派遣撤収後、しばらくして、ある取材を受け、「何が一番大切ですか?」という質問を受けたことがありました。私は迷わず「意志です」と答えました。今回の任務を通じて、自衛官として任務をやり抜くという強い意志の重要性を改めて認識しました。そして、今後も、日本人として、そして自衛官として、この国に報いる心を堅固にし、身を引き締め勤務していきたいと思います。




【任務実施時の服装】

【放水任務へ向かうCH-47】