被災地で自衛隊がアメリカ海兵隊に後れを取った理由
美談だけで済ませてはいけない「震災と自衛隊」
北村 淳
著者紹介
戦争平和社会学者。東京生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。警視庁公安部勤務後、平成元年に北米に渡る。ハワイ大学ならびにブリティッシュ・コロンビア大学で助手・講師等を務め、戦争発生メカニズムの研究によってブリティッシュ・コロンビア大学でPh.D.(政治社会学博士)取得。専攻は戦争&平和社会学・海軍戦略論。米シンクタンクで海軍アドバイザー等を務める。現在サン・ディエゴ在住。著書に『アメリカ海兵隊のドクトリン』(芙蓉書房)、『米軍の見た自衛隊の実力』(宝島社)、『写真で見るトモダチ作戦』(並木書房)等がある。
本稿は、平成24年3月15日JB Pressに掲載されたものを転載したものです。

 「自衛隊との連携は概ね大成功であり、今後発動されるであろうアジア太平洋地域における人道支援・災害救助(HA/DR活動)における日米共同作戦が順調に実施できることを確信している(注:HA=Humanitarian Assistance、DR=Disaster Relief)。

 自衛隊は大活躍したと思う。とりわけ、震災津波被災地への10万名の緊急動員に対処した折木統幕長のリーダーシップは極めて優れていた。

 また原発事故対処でも、聞くところによると初期対応に逡巡していた政府を説得して果敢にヘリコプターを出動させた決断は見事で、彼こそナショナルヒーローとして高く評価されたのだろう?」

 東日本大震災救援のために自衛隊と実施した共同作戦であるトモダチ作戦に指揮下の第31海兵遠征隊をはじめとする諸部隊を投入したアメリカ海兵隊太平洋海兵隊司令官ティーセン(Thiessen)中将は、このようにトモダチ作戦を振り返って筆者に語った。

 自衛隊とは何の関係もない一個人との私的会話である以上、中将の言葉は「外交辞令」などではなく、強大な太平洋海兵隊を指揮する軍人の率直な感想と考えて差し支えない。

 このような評価をアメリカ海兵隊最高首脳の1人が口にしているからには、国防総省はもとより国務省やホワイトハウスの高官たちも日本側の「しかるべき人々」に対して同様の評価を口にしているはずである。

 そのような賛辞を受けた日本側は「アメリカ軍も自衛隊の活動を高く評価している」と自衛隊の活躍を再評価することになるのであろうが、災害救援活動それ自体に対する評価と、その後の対応に対する評価とは無関係であることまでは、おそらく誰も口にしないであろう。

 つまり、作戦実施後に教訓を引き出し、それらをもとに将来への備えを開始する過程まで含めて、作戦の評価をしなければならないという軍事常識に従うならば、「東日本大震災に対する救援活動は概ね成功であった」と満足できるのであろうか?

 果たして、教訓を真摯に引き出したのであろうか? 教訓を生かすべき施策が具体的に始動しているのであろうか?

米国の真の軍人が抱く疑問、自衛隊は軍事的教訓を得たのか

 上記のティーセン将軍の評価と似通った感想を、実際にトモダチ作戦に参加し指揮を執った海兵隊や海軍の将校たちは口にする。しかし、そのような賛辞と平行して、救援活動から得るべき教訓や教訓に対する対処状況に関する疑問なども指摘している

 そしてイラクやアフガニスタンでの戦闘を体験している真の軍人である彼らは、未曾有の大災害に対して空前の規模で出動し大いに活躍した自衛隊の諸活動や救援態勢や組織構造から、日本の国防にとって有用な様々な軍事的疑問を投げかけた。

 それらの中には、「日本はいかにして防衛すべきなのか」といった大戦略に関するものから具体的な組織論や装備の問題に至るまで幅広い疑問が含まれている。

 いくつかを例示してみよう。

 (1)防衛当局による軍事的諸判断を待たずに、政府首脳が一方的に10万人動員を命令したが、そうした統制に対する反省はなされているのか?

 (2)自衛隊員に対する食料補給や個人装備の質・量といったロジスティックスが貧弱であり、救援現場の隊員たちの「精神力」と「自己犠牲」に負うところが少なくなかった。これでは、まるで第2次世界大戦中に質・量ともに貧弱な装備と食料・弾薬の欠乏のために悲惨な運命をたどった帝国陸軍兵士の現代版ではないのか?

 (3)ちょうど横須賀を母港とする米海軍空母は震災当時に整備中で出動できなかった。だが、運良く、別の空母が日本近海を通りかかったため、救援活動に参加するとともに、日本周辺に対する睨みを利かせることができた。このような抑止能力の現状についての議論が巻き起こっているのか?

 (4)アメリカ軍の「CBRNE被害管理即応部隊」(CCMRF)のような対放射能汚染攻撃戦能力を保持していない自衛隊には、福島第一原発事故周辺の放射能汚染地域に急行して震災被災者を救出する活動はできず、それらの被災者を見殺しにせざるを得なかった(注:CBRNEとは、化学兵器・生物兵器・放射性物質兵器・核兵器・高性能爆薬を意味する)。自衛隊ではCBRNE事案対処部隊の構築は進んでいるのか?

 (5)「『併用戦能力』(amphibious capability)が全くと言ってよいほど欠落している自衛隊」の救援部隊は、内陸部から沿岸域・海岸線の被災地に到達せざるを得なかった。そのため、本格的救援活動開始には長時間が必要となった。また、孤島化した離島や陸のスポットでの救援活動はアメリカ海兵隊が駆けつけるまで実施されなかった事例もある。日本独自の併用戦能力構築に向けての具体的進捗はあるのか?

 これら以外にも様々な疑問が投げかけられたが、本稿では、最も話題の中心となったアメリカ海兵隊の「お家芸」である併用戦能力に関して引き出すべき教訓についてのみ記述する。

アメリカ海兵隊頼みの「併用戦能力」

 「併用戦能力」とは、海に浮かぶ発進拠点(通常、揚陸艦という軍艦)から揚陸艇、水陸両用強襲車、ヘリコプターなどを用いて陸上戦闘部隊を陸地に到達させて、海岸部から内陸部にかけての陸上作戦を実施する能力を意味する。

 陸上戦闘部隊が陸地にアクセスを開始してから陸上での作戦が完了するまでの期間、海上の軍艦からは敵に対するミサイル攻撃を加えたり、ヘリコプターや攻撃機で敵を攻撃したり、海岸や内陸で活動する部隊に対する補給活動を継続的に加える。

 このように、併用戦能力は、陸上戦闘部隊を目的地沖合まで搬送し、作戦中は部隊を支援する能力を持った海軍部隊と、海上から海と空を経由して陸地にアクセスし、作戦を実施し、自前で補給活動も行う陸上戦闘部隊とから構成されている。

 前者は海軍が担当し、アメリカ海軍の場合は、このような作戦に特化した水陸両用戦隊という部隊を保持している。後者のエキスパートは、国によって呼称は様々であるが、海兵隊、海軍陸戦隊、あるいは海軍歩兵と呼ぶ。

 「海から海と空を経由して陸地にアクセスする」併用戦能力は、海岸線や島嶼を有する国家の防衛にとっては不可欠な軍事力である。したがって、それらの国々の大多数が「海兵隊」「海軍陸戦隊」「海軍歩兵」(以下、総称して海兵隊と記す)を保有している。

 ところが、典型的な島嶼国家であり長大な海岸線と多数の島嶼を保有する日本には、海兵隊という組織はもとより併用戦能力自体が存在していない。その軍事的欠缺を穴埋めするために、沖縄を中心にアメリカ海兵隊第3海兵遠征軍の部隊が駐留している。

 逆説的に言うと、アメリカ海兵隊が日本に存在しているから、日本防衛当局は併用戦能力の構築を怠ってきたことになる。

自衛隊はなぜ海兵隊に後れを取ったのか

 「日本自身が併用戦能力を欠いている」という実情が日本の国防にとり重大な不安をもたらすということを素人目にも明らかに示したのが、東日本大震災の救援活動であった。

 海岸線のみならず内陸深くまでの沿岸地域の交通網が地震と津波で壊滅したため、内陸部から沿岸部にアクセスする大陸陸軍的能力を特徴とする陸上自衛隊部隊による被災地への救援活動は困難を極めてしまった。

 実際に、離島部や陸の孤島化してしまった地域に自衛隊の本格的な救援部隊が到達するには、長い時日を要してしまった(東日本大震災に際してのアメリカ軍の救援活動に関しては、拙著『写真で見るトモダチ作戦』を参照されたい)。

 例えば、気仙沼市の沖合に浮かぶ気仙沼大島へ本格的な救援部隊が上陸したのは3月27日であり、その部隊は自衛隊ではなくアメリカ海兵隊第31海兵遠征隊であった。

 実は、震災発生当時、沖縄に駐留しているアメリカ海兵隊の実動部隊である第31海兵遠征隊と、佐世保を母港とするアメリカ海軍の水陸両用戦隊の主力は、東南アジアでの人道支援活動に従事中であった。震災発生翌朝にはマレーシアやシンガポールから日本へ向けて急行を開始したアメリカ海軍水陸両用戦隊・アメリカ海兵隊は1週間後には秋田沖に到着し、ヘリコプターによる救援活動を開始した(これ以前にも、震災発生直後から、在日米海軍、海兵隊、空軍の航空機、艦艇による救援活動であるトモダチ作戦は実施されていた)。


強襲揚陸艦から海兵隊員を乗せて気仙沼大島に向かう米海軍揚陸艇

 海兵隊部隊は秋田沖から三陸沖に進出して、「海から海と空を経由して陸にアクセスする」併用戦能力を生かした救援活動を実施したが、日本政府側の“調整”が手間取るなどして、海兵隊が気仙沼大島のような孤立地点を“認識”して上陸救援部隊を差し向けたのは3月27日になってからであった。

 これ以前にも、併用戦能力を持たない自衛隊は、北海道に駐屯する陸上自衛隊部隊と多数の軍用車両を、青森県側に海を渡って被災地救援のために移送することができなかった。

 そこで、東南アジア遠征には出動せずに韓国軍との演習のために韓国浦項港に入港していたアメリカ海軍揚陸艦トーテュガ(母港は佐世保)が苫小牧港に急行して(3月17日)、陸上自衛隊員300名と軍用車両100両を青森県へと搬送した。

 要するに、併用戦能力を全く持たない自衛隊には、港湾施設が復旧してフェリーなどが就航するまでは、大部隊の海を越えての移動はもとより、気仙沼大島のような孤島にはある程度の規模の救援部隊を送り込むことができないのである。

 これを軍事的局面に置き換えてみるとどうなるか。外敵侵攻部隊が、例えば宮古島を占拠した場合を想定してみよう。

 気仙沼市から僅か1キロメートルと離れていない気仙沼大島へすら到達できない自衛隊には、那覇港から直線距離でおよそ300キロメートル離れた宮古島へ奪還部隊を送り込むことなどできぬ相談ということになる。もっとも、海上自衛隊並びに陸上自衛隊合同の併用戦訓練を実施していない自衛隊には、戦時下において本格的戦闘部隊を沖縄へ急送することすら不可能と考えざるを得ない。

 このように、防衛省などは「島嶼防衛」の重要性を口にしているものの、現状では、アメリカ軍に全面的に依存している軍事的幼児状態なのである。

日本国防当局は自らの責務を果たせ

 大震災に際して発動されたトモダチ作戦は、確かに日米同盟にとっては明るい話題ではあった。しかし、それ以後も各種軍事作戦やHA/DR作戦に多数の部隊を投入し続けているアメリカ軍にとっては「One of them」の出来事であり、「トモダチ作戦の成功=日米同盟の深化」といった単純な図式とはほど遠い。

 それよりも、トモダチ作戦実施過程や事後の検討によって得られた教訓を将来に生かせる作業を日米双方が進めることこそが、トモダチ作戦を日米同盟の深化につなげるためには必要である。


気仙沼大島に上陸した海兵隊員たち

 しかしながら、大震災から1年を経過したにもかかわらず、防衛当局をはじめとする日本政府は震災救援活動から得た軍事的教訓を生かすための施策を示した形跡はなく、国会も大震災と国防を結びつけて国民の安全を図ろうとする努力を欠いている。防衛問題と言えばローカルポリティックスないしは不動産問題と、アメリカ側が考えている普天間・辺野古の問題に終始しているていたらくである。

 いくらアメリカの軍人たちが、東日本大震災後の日本の救援活動を分析して様々な軍事的教訓を導き出しても、それらを日本に教えてくれはしない。日本防衛当局は自からの分析によりそのような教訓を導き出し、将来の国防に生かすべきであり、それこそが戦闘という軍隊の主たる責務を果たす機会に直面したことのない防衛省・自衛隊にとって唯一の軍事的責務の遂行である。

 本稿では、東日本大震災救援活動から得られる軍事的教訓のうち「併用戦能力の欠落」という項目だけを指摘したのだが、「日本が自前の併用戦能力を保持するならば、どのようにして構築すべきなのか?」「どの程度の規模が必要なのか?」といった分析も、日本防衛当局による問題提起がなされていない以上、引き続き紹介しなければなるまい。

 また、これ以外の「東日本大震災から引き出すべき軍事的教訓」も日本の国防にとっては極めて深刻であるため、引き続き稿を改めて論じてみることにしたい。