東日本大震災出動指揮官インタビュー(4)
「オペレーション・アクア:原子力災害派遣給水支援作戦」

あの「3.11」から1年。海上からの救援活動であまり知られていない、海上自衛隊出動部隊の指揮官に対するインタビュー第2弾を2回にわたりお届けしています。
今回は「東日本大震災出動指揮官インタビュー(4)」として、海上自衛隊初めての原子力災害派遣部隊の現場指揮官として、小船艇を率い横須賀から海路東京電力福島第1原子力発電所に進出、給水支援作戦(オペレーション・アクア)を指揮した当時の横須賀警備隊司令井ノ久保1等海佐にお聞きしました。24年2月9日、横須賀の海上訓練指導隊群司令部でお話を伺いました。

(インタビュアー:山田道雄理事)

前横須賀警備隊司令 1等海佐 井ノ久保 雄三 (いのくぼ ゆうぞう)

略歴
昭和31年宮崎県出身。
防衛大学校卒(23期)。
同54年海上自衛隊入隊。
護衛艦艦長、海上幕僚監部班長、
第5護衛隊司令、統合幕僚監部課長等。
平成22年4月から同23年7月まで横須賀警備隊司令。
現在海上訓練指導隊群司令

――井ノ久保司令、本日はお忙しいところ時間をとっていただき有難うございました。昨年の東日本大震災の際、海上自衛隊初めての原子力災害派遣の現場指揮官として給水支援作戦(オペレーション・アクア)の指揮をとられました。全世界が注目する大きな原発事故だったので、現場ではいろいろ困難な問題もあり大変ご苦労されたことと思います。しかし、一般の国民には中々その実態が伝わって来ません。本日は活動の内容と緊張感あふれる現場の状況などをお聞かせいただきたいと思います。まず、昨年3月11日、マグネチュード9という極めて大きい地震が発生したわけですが、その時司令はどこで何をされていましたか。

井ノ久保 警備隊庁舎の司令室で執務中でした。庁舎は築後70年と聞いていましたので、すごい揺れで天井が落ちるではないかと思い、直ぐ隊員に「机の下に潜れ」と指示し、揺れの収まるのを待ちました。

――地震発生直後、横須賀警備隊としての対応は。

井ノ久保 揺れが収まった後、隊内各部の被害状況を確認させるとともに、津波の被害を避けるため、隷下の特務艇「はしだて」を緊急出港させました。
 同時に停泊中の艦船の緊急出港が当然予想されましたので出港支援に当たる曳船の乗組員を配置に付けました。
 その後、オペレーション・アクアで横須賀出港するまでの間、「はしだて」と水中処分隊を捜索・救難活動を行う災害派遣部隊に派出しました。さらに、断水した千葉県浦安市への水船による給水支援及び石巻市での入浴支援のための部隊を派出しました。

――同時に多くの護衛艦等が緊急出港するので大変だったと思いますが、問題はありませんでしたか。

井ノ久保 当日は平日の勤務時間内でほぼ総員在隊していましたので出港作業には問題ありませんでした。ただ、地震発生後1時間から2時間後、津波の影響で約2メーターの潮位差があり、給油船の1隻が着底するという事象がありましたが、それによる被害はありませんでした。

――今回活動された作戦は「オペレーション・アクア」と呼ばれていますが、この命名の由来について。

井ノ久保 「福島第1原発への給水支援作戦」ということでしたので、高嶋前横須賀地方総監が「オペレーション・アクア」と命名されたと聞いています。アクアは水ということで、そこからとられたのだと思います。

――オペレーション・アクアの作戦目的、その概要について。

井ノ久保 原子力災害を生起させた東電福島第1原発の冷却水確保のため、米軍から提供された給水バージ2隻を多用途支援艦及び曳船を使用して、横須賀から小名浜経由、福島第1原発の港内(物揚場)へ回航し、さらに、東電がその真水を使用して空になった同バージへの真水の再補給を補給艦により実施するというものです。

―― 実施部隊の編成について。

井ノ久保 横須賀地方総監の下に給水バージを曳航する部隊指揮官として横須賀警備隊司令が指定され、多用途支援艦3隻と曳船3隻が配属されました。
 また、後方支援部隊として、除染や給食支援等を実施する第11護衛隊司令の下に護衛艦「さわゆき」と「はたかぜ」が、真水の再補給支援部隊として補給艦2隻と輸送艦2隻が配属されました。

――この多用途支援艦というのは各総監部に1隻しかいないと思いますが、残りの2隻は他の総監部からですか。

井ノ久保 そうです。横須賀所属の「えんしゅう」はあいにく年次検査中でしたので使用できず、舞鶴から「ひうち」を、佐世保から「あまくさ」を横須賀に回航させ、これら2隻の多用途支援艦が配属されました。

――護衛艦が2隻配属されていますが、編成上どうだったのでしょうか。

井ノ久保 曵船は普通港内を走っていて長距離の航海はしないものですから、船内には給食とかの設備はありません。今回護衛艦は、曵船の乗組員の食事とか放射能の除染の為に使われました。護衛艦に装備されている洗身装置等を活用しました。

――補給艦と輸送艦の編成については。

井ノ久保 給水バージの容量は1500トンですので、これが空になった場合の補給先は、真水の搭載能力の大きい補給艦か輸送艦に指定されました。しかし、実際に真水補給の任務を遂行したのは、補給艦おうみ1隻のみでした。

――次に行動の概要について教えて下さい。

井ノ久保 3月24日、発生から約2週間たってからですが、(横須賀地方)総監から給水支援作戦の話があり、「横須賀警備隊で出来るか」というご下問があり、「出来ます」と即答し翌日の夕方 横須賀を出港しました。その後の行動と経過概要は次のとおりです。

3.25(金) 自行原命第5号(23.3.12)に基づき、東電福島第一原発に対する
給水支援実施に関する統幕長指令が発令
午前 多用途支援艦「ひうち」がNo.1給水バージを曳航して横須賀発。第11護衛隊司令(さわゆき)が随伴して警戒
3.26(土) 横総監から福島第1原発に対する給水支援(オペレーション・アクア)に関する横地隊行原命第1号が発令
午前 横須賀警備隊司令が曳船3隻(YT-68,74,79)を指揮して横須賀発


曵船部隊の出港風景(横須賀)
3.27(日)
~30(水)
午後 小名浜着
    放射線防護教育、防護器材の整備、バージ引き渡し訓練、除染訓練等(東電 バージに給水ポンプ設置工事)
午後 「さわゆき」、「ひうち」及び曳船2隻小名浜発(No.1給水バージの回航)

「ひうち」によるNo1バージの曳航
3.31(木) 午前 福島第1原発沖着、曳船1隻による港内事前調査
午後 No.1給水バージの福島第1原発港内への接岸
    福島第1原発沖発

「ひうち」から曵船へNo1バージの授受

曵船によるNo1バージの曳航

曵船から見た第1福島原発

福島第1原発港内へ

福島第1原発への接岸(1)

福島第1原発への接岸(2)

福島第1原発への接岸(3)

障害物の除去作業

港内から福島第1原発施設を望む
4.1(金) 午前 「さわゆき」、「ひうち」及び曳船2隻小名浜着。
    「あまくさ」、「はたかぜ」によりNo.2給水バージ小名浜着
午後 「さわゆき」、「ひうち」及び曳船2隻小名浜発(No.2給水バージの回航)
4.2(土) 午後 No.2給水バージの福島第1原発港内への接岸
4.3(日) 午後 空になったNo.2給水バージの「おうみ」への回航
4.4(月) 午前 満水のNo.2給水バージの福島第1原発港内への接岸
    福島第1原発沖発
午後 小名浜着
~4.17(日) 小名浜待機
4.18(月)~6.14(火) 横須賀待機

――今回曵船が大変活躍したわけですが、過去の災害派遣で水船が出動したことは聞いたことはありますが、「曳船」が正面兵力として参加した実績については。

井ノ久保 水船については今回も浦安方面に派遣したように給水支援の実績がありますが、曵船についてはありません。曳船は、通常、護衛艦等の大型艦の出入港支援等の後方支援兵力として使用されるため、今回のような正面兵力として使用されたことは過去にありません。

――次に準備期間について伺います。総監から打診されて翌日には出港という事ですが、十分な期間も取れず初めてのことで色々困難な事があったと思いますが。

井ノ久保 放射線防護等の準備は、小名浜で行うこととされたため、25日、多用途支援艦「ひうち」でNo.1給水バージを横須賀から曳航させ、また、翌朝には曳船3隻を横須賀出港させ、小名浜へ向かわせました。
 当初、東電が給水バージに給水ポンプを設置するのに約半日を予定していましたが、所要の(外洋航行可能で出力の大きな)給水ポンプの入手に手間取り、3日間滞在することとなりました。そのため、結果的には海自側も放射線防護に関する所要の教育、器材の整備、除染訓練等を実施することができ、十分な準備期間を取ることができた。手間のかかる準備を行いつつ速やかに現場に進出するという観点から、小名浜寄港を当初から計画されたのは大変適切でした。


小名浜港停泊中の派遣部隊

除染部署の訓練風景

―― 参加部隊間の連携はうまくいったのでしょうか。

井ノ久保 現場には、曳航部隊指揮官である警備隊司令と、その後方支援部隊として第11護衛隊司令のいわゆる「ツーヘッド」となりましたが、その指揮関係は「協同関係」ということで、相互の緊密な調整によって円滑に任務を遂行できました。
 特に、曳船は通信能力が脆弱でありまして、横須賀地方総監部との直接の通信が出来ませんでしたので、「さわゆき」を通信中継艦として現場の作戦の進捗状況をリアルタイムにチャット等で報告するとともに、総監からの命令を直ちに受信することができました。さらに、食事、休養、除染等の支援を受け、曳航部隊は安心して任務に専念することができました。


「さわゆき」から曵船への放水(除染)

曵船から「さわゆき」への移乗

―― 海自以外の組織との連携はいかがだったでしょうか。

井ノ久保 小名浜での準備期間中に毎日、関係者である海自、陸自中央即応集団(CRF)、東京電力及び原子力安全・保安院の4者調整会議を開催して、情報共有を図りました。その際、東電側から第1原発の放射線量や被害への応急処置の状況が提供され、海自側から東電側へはバージに設置する給水ポンプの性能等について伝えました。
 また、曳船の引き渡し訓練を東電関係者と海自曳船により実施したことで、原発現場での作業も円滑に実施できました。


4者調整会議(3月29日)

4者調整会議(3月30日)

――放射線対策については初めてのことでもあり、色々大変だったと思いますが、器材等のハード面或いは乗員の教育等のソフト面でいかがでしたでしょうか。

井ノ久保 ハード面の放射線対策は、横須賀造修補給所の移動工作班が鉄板及びタングステン・シートを曳船の船橋回りに装備してくれまして、これで船橋内への放射線の侵入阻止を図りました。そして、器材としては衛星携帯電話(イリジウム)、ポケット線量計、ヨウ化カリウム等を受領し、防護服(タイベックス)、防護マスク及び防災無線機を東電から借用しました。
 ソフト面としては、放射線被曝に関する一般的知識、防護服の着用要領、線量計の使用要領等を陸上自衛隊の中央即応集団(CRF)から教育を受けました。また、甲状腺癌の予防対策として、自衛隊横須賀病院の医官からヨウ化カリウムの服用要領について、説明を受けました。


放射線侵入阻止対策(船橋回り)

放射線侵入阻止対策(船橋内)

鉄板とタングステンシートにより放射線侵入阻止対策を施した曵船(小名浜港)

――回航する際、海上模様が悪くてかなりご苦労されたと聞いていますが。

井ノ久保 ちょうど回航する25,26日は、低気圧の前線通過と重なり海上は大時化でした。福島第1原発の津波による損傷は甚大であり、米海軍から提供された給水バージによる冷却水の確保は「一刻を争う」と聞いていましたので、大荒れの中、横須賀を出港して小名浜に向かいました。
 当時、北の風25kt、波4、うねりN3であり、合成波高は5mにもなりました。このため、給水バージを曳航していた多用途支援艦「ひうち」と「あまくさ」の曳航索2本のうち1本が切れて、両艦とも残りの1本のみでの曳航となりました。翌日出港した曳船が途中で「ひうち」に追いついたのですが、夜間の荒天下では曳船から給水バージに飛び移ることもできず、ただ見守るのみでした。幸い残りの1本の曳航索は切れることなく小名浜にたどり着くことができました。これも不幸中の幸いだったと考えています。

――この時司令はどこに乗られたのですか。

井ノ久保 曵船に乗って曵船3隻を率いていましたが、私は護衛艦では船酔いには強いという自負がありましたが、曵船は護衛艦とは動揺の大きさ、周期が全く違いまして、ひどい船酔いとなり苦労しました。

――この「ひうち」型多用途支援船は重心が高く荒天航行は苦労するのでは、という所見が就役当初あったかと思いますが。

井ノ久保 おっしゃる通り後ろから見るとかなりマストが揺れていました。しかし、それ以上に曵船の方も揺れており、とてもそちらを心配する余裕はありませんでした。(笑)

――そうですか、それは大変でしたね。(笑)小名浜に寄港したというのは先ほど伺いましたが、この小名浜港の選定、寄港は総監部の方で計画されたのでしょうか。

井ノ久保 総監部の防衛部の方で計画されました。結果としては、そこから原発現場までは海路5、6時間で行けますし、道路が使用可能で陸路そこまで器材等を輸送できましたので適切な選定でした。

――ちょうど作戦というかオペレーションの前進基地的な位置づけだったのですね。

井ノ久保 はい、まさにその通りでした。海上自衛隊は、放射線防護に関する十分な器材及び知見を有していなかったため、必要となる放射線防護器材の調達、隊員への教育等が直ちに実施することができず、また、給水バージの回航時間を短縮する必要がありました。そのため、放射線防護等の準備は、原発現場から近く、放射線の影響のない小名浜で行うこととされました。

――当時の放射能の汚染状況がどうだったのか正確には覚えていませんが、その根源である原発現場での作業は大変だったと想像しますが、特にご苦労された点について。

井ノ久保 福島第1原発現場での作業は、結果的には円滑に実施することができ、放射線被爆量も抑えることができました。しかしながら、これは、不幸中の幸いでありまして、今から申し上げる幸運と周到な準備をした賜物であると考えています。
 まず、当初一番心配したのは、福島原発港内の情報入手でした。放射線量につきましては、小名浜での関係者調整会議で東電から日々の情報を得ており、作業に支障のある程度ではなかったので心配してはいませんでした。
 しかしながら、自衛艦隊から得た衛星写真によりますと、港内は流出油の影響で海面が反射して水面下の状況が分かりませんでした。さらに、防波堤入口に水面下に何らかの障害物が写っていまして、給水バージを抱えた曳船の入港を妨げる可能性があるのではないかと思っていました。そのため、現場においてその障害物を除去する必要があると思っていました。
 また、小名浜で福島第1原発の職員から「津波の到来前に岸壁付近にあったドーザ等の重機が引き波で流されて港内に水没している」と聞いていました。もし、港内に進入した曳船がそのドーザに衝突したら、船底に穴が開いて放射線に汚染された海中に落ちる可能性があることを心配していました。
 結果的には、障害物は取り除かなくても防波堤とワイヤーの間にバージを横抱きにした曳船が通過できることを確認出来ましたので問題ありませんでした。そして、港内の状況につきましても、曳船1隻による事前調査で航路上、障害物がないことを確認できました。これらは、まさに不幸中の幸いであったと考えています。

――実際の作業を行う前に、現場での関係者の連携等については事前訓練みたいなものをされたのでしょうか。

井ノ久保 現場での放射線の被ばく線量を少なくするには、いかに早く給水バージを引き渡すかに掛かっていましたので、小名浜において給水バージの福島第1原発への引き渡し訓練を福島第1原発職員と実施しました。そのおかげで現場岸壁においてスムーズに給水バージの引き渡しが実施出来ました。


給水バージ訓練風景(1)(小名浜港)

給水バージ訓練風景(2)(小名浜港)

―― 引渡しされた後の給水バージ、これは実際に使われたのでしょうか。

井ノ久保 4月2日(土)、福島第1原発が給水バージ1隻分の真水を使用したので、翌3日(日)補給艦「おうみ」で真水の再補給を実施しまして、満水になったバージを福島第1原発に再び回航しました。その後、東電側から給水バージ再補給の依頼がありませんでしたので、バックアップとしての冷却水を確保する所要はなくなったものと認識しておりますが、その後給水バージをどのように活用したのかは情報を得ていません。


No2バージの離岸

No2バージの「ひうち」への引き渡し

No2バージ「おうみ」接舷前の除染

No2バージ「おうみ」からの給水

No2バージの「ひうち」による回航

No2バージの福島第1原発への接岸

――補給艦「おうみ」は原発からどのくらい沖にいたのでしょうか。

井ノ久保 陸上自衛隊が20kmを基準として安全圏を設定していましたが、海上自衛隊もそれを参考とし、「おうみ」も原発から20-25kmで待機していたと思います。

――引き渡した後曵船部隊はどこで待機したのですか。

井ノ久保 給水バージを引き渡した後曵船部隊は小名浜に戻り、4月17日まで待機しました。 私は報告のため4月4日陸路横須賀に戻りました。

――指揮官として現場作業で最も神経を使われたれた事項について。

井ノ久保 まず放射線被ばくです。給水バージの輸送は通常の運用作業なので全く技量的に藻問題ありませんでしたが、我々の全く経験していないしかも目に見えない放射線下の運用作業ということで、被ばく量を抑えるためにタイベックスという防護服を着ましたが、隙間から入ってこないかとか、マスクをちゃんと着用しているかとか、そういうことを一番に気を付けました。


曵船(YT68)の船橋内

陸自隊員による放射能測定

――実際に被ばくした放射線の量というのは。

井ノ久保 最大の放射線量というのは、福島第1原発の現場岸壁(物揚場)における3mSV/Hであり、事前に横須賀地方総監から指示されていた「直ちに撤退する累積放射線量20mSV」という値から余裕があったため、特に現場で作業をやっていて不安ありませんでした。そして、本作戦終了後の累積放射線量も最大の隊員でも3mSVでしたので、健康上の影響はないものと考えます。また、事後の定期検査においても参加した隊員の異常は認められていません。

――隊員の方の士気と言いますか、精神面での心配事はいかがでしたか。

井ノ久保 今回の大震災に際して、横須賀警備隊隊員は、他の自衛隊隊員同様、少しでも救援活動に役立ちたいという気持ちで、正に寝食を忘れて積極的に災害派遣活動に従事してくれました。したがって、本作戦への参加についても港務隊の曳船船長に打診したところ、誰一人として難色を示す者はいませんでした。それどころか、目に見えない放射線下の運用作業という危険を伴う作業でしたが、曳船の各船長は将来のある若い隊員を横須賀に残し、曹長、1曹等の老兵(?)を中心とした編成を申し出ました。まさに海上武人としての心意気を示してくれまして、隊員の士気は極めて高かったと思います。

――メンタルヘルス面でいろんな対策は講ぜられましたか。

井ノ久保 メンタルヘルスについては、各船長を通じて実施しましたが、今申しましたように士気が極めて高かったこともあり、精神的に不安定になる者は皆無でした。さらに、放射線被爆の影響を診断するため、定期的に血液検査を実施していますが、異常のある者は認められていません。

――曵船等の定員ですが、これはフル定員で行かれたのでしょうか。

井ノ久保 いいえ。定員は7名ですが高嶋総監の指示により極力参加定員を減らせということで4名とし、3名減らしました。その3名の人選は各船長所定としましたが、前に申しましたとおり若い隊員を下ろし年寄り隊員で編成しました。

――実際4名で作業等の支障はありませんでしたか。

井ノ久保 全く支障がなかったという事ではありませんで、やはりその分かなり重いもやい策を全身を使って移動するということでかなりへとへとになっていました。

――大変なご苦労をされ見事任務を達成されましたが、任務を完了されて指揮官として一言。 

井ノ久保 本作戦は目に見えない高放射線下の運用作業という海上自衛隊にとって初めての作戦でしたが、一人の傷病者も出すことなく、任務を完遂できましたのは、関係する全ての部隊の隊員、そして、東京電力、原子力安全・保安院の職員が一致団結して、それぞれの職務を全うしてくれた賜物であると考えています。この場をお借りて関係者の方々に感謝申し上げます。

――最後に、今回参加された曵船乗員の方たち、その後の勤務においていかがだったでしょうか。

井ノ久保 通常の勤務が護衛艦の出入港支援という裏方の仕事、いわゆる後方支援ですので、それが今回正面兵力として活躍できたということで彼らの士気は格段に上がりました。それが又強い彼らの誇りとなりましたので、その後の勤務においても積極的に勤務出来ているのはこのお蔭ではないかと思っています。

――本日は長時間有難うございました。普段なかなか目立たない分野で勤務されている横須賀警備隊の3.11での活動状況を伺い感動しました。今回参加された曵船部隊の乗員の方々をはじめ隊員の皆様の今後益々のご活躍を祈念します。井ノ久保司令、有難うございました。 (了)


井ノ久保司令と曵船部隊乗員の皆さん(24.2.10  横須賀)

(写真提供:海上自衛隊)