東日本大震災出動指揮官インタビュー(1)
「“顔の見える支援”を」

東日本大震災の発生後半年が過ぎましたが、海上からの救援活動の故にあまり知られていない、海上自衛隊出動部隊の指揮官に対するインタビューを2回にわたりお届けします。
 第1回は掃海艦艇や潜水員を指揮して長期間現場にとどまり、「顔の見える」気配りのある災害救援にあたられた掃海隊群司令福本出海将補です。
 災害派遣が一段落した6月1日、横須賀の司令部を訪問し、お話を伺いました。

(インタビュアー:山田道雄理事)

掃海隊群司令 海将補 福本 出 (ふくもと いずる)

昭和32年和歌山県出身。防衛大学校卒(28期)
昭和59年海上自衛隊入隊。掃海艇艇長、掃海隊司令、トルコ防衛駐在
官、呉地方総監部幕僚長等を経て平成22年12月から現職

――本日はお忙しいところ時間をとっていただき有難うございました。東日本大震災に際しては、福本群司令自ら現場に進出され掃海艦艇を一元指揮されてのご活躍、大変お疲れ様でした。早速ですが、掃海隊群という部隊は一般の人にはあまりよく知られていないのですが、部隊の編成について教えてください。

福本 掃海隊群(ML)は自衛艦隊(SF)隷下で横須賀、呉、佐世保の各基地に掃海艦艇が展開しています。横須賀、呉に掃海母艦(MST)が1隻ずつ、横須賀に掃海艦(MSO)3隻、佐世保に掃海艇(MSC)3隻、呉に掃海艇(MSC)3隻と無人掃海具の管制艇2隻、横須賀にデータバンク的に収集した航路データを管理する部隊で編成され、掃海艦艇9隻の体制です。
このほか、横須賀、呉、佐世保、舞鶴、大湊の各地方隊に計16隻の掃海艇が配属されています。今回の災害派遣ではこれらの掃海艇の一部も一元的に指揮しました。

――早速ですが3月11日の地震発生時、群司令はどこに居られましたか。またどのような処置をされましたか。

福本 横須賀の陸上司令部に居ました。当時国内の稼働艦は掃海艦「やえやま」のみであとは修理中とシンガポール方面行動中でした。津波避退のため「やえやま」には緊急出港を命じましたが、その際司令部の水中処分(EOD)員4名を乗せ現地に向かわせました。平成5年の奥尻島沖地震の津波被害に出動した掃海部隊の教訓から多くのEOD員が必要になると判断したからです。「やえやま」は18時頃出港、翌日の昼頃石巻湾に到着しました。

――初動時群司令部としてはどのような処置を取られましたか。

福本 当時旗艦(掃海母艦)の「うらが」は川崎市の造船所で修理中。もう1隻の掃海母艦「ぶんご」掃海艦「はちじょう」掃海艇「みやじま」とともにシンガポールで行われる合同訓練に参加するため勝連(沖縄)で停泊中でした。結局この訓練への参加は間もなく中止となりましたが、「ぶんご」にあらかじめ沖縄の水中処分隊長以下10名のEOD員を乗せて北上させ、「ぶんご」の横須賀入港までに各地方総監部と調整して潜水艦救難艦「ちよだ」の潜水員も含む約130名のEOD員を集めました。13日夕刻群司令部は、横須賀に入港した「ぶんご」に乗艦し、「ぶんご」にはEOD員のほか、非常用糧食、毛布等を積み込み21時横須賀出港、14日には石巻湾に到着しました。

――「ぶんご」で全ての掃海艦艇の指揮をされたのですか。

福本 当初は1・2・3各護衛隊群の指揮下に入っていましたが、3月20日以降は全ての掃海艦艇は私のところで統一指揮することになりました。

――海からの救援、救助はどのようにされたのでしょうか。

福本 発災直後陸岸付近は浮遊物のがれきの山で艦艇が近づけないので、沖合で漂流中のご遺体を収容しました。

初動段階では護衛艦が主力でしたが、がれきが潮で流されてからMSO、MSC等の小型艦艇が主になり離島とリアス式海岸の集落―殆ど陸路が途絶し、インフラが破壊されていましたが―そういう所にゴムボートで行き、生糧品等を供出して支援しました。そういった所はヘリの発着が出来ず、警察、消防、陸自の支援のない状況でした。陸岸へのアクセスですが、護衛艦等の作業艇、RIBはスクリューに水中浮遊物等が絡み運航が困難でしたが、掃海艇はゴムボートでその心配もなく運行にも慣れていましたので平気でした。行政が機能していませんでしたので、リヤカーを引っ張り、メガホンで御用きをしながらの支援でした。私は第4海災部隊指揮官として潜水艦救難母艦「ちよだ」の他掃海艦艇14隻を指揮しましたが、4月15日までに牡鹿半島より北の地域の24港湾107地区で延べ150回の支援をしました。

――そういった支援の具体的な内容について。

福本 最初は食料が主でした。命をつなぐために必要な口に入るものは何でも、という状況でしたので自衛隊の持っている非常用糧食は喜んでもらいました。次の段階で多くなったのは燃料です。まだ寒い時期でしたので暖房用の灯油、非常発電機用の軽油等です。灯油は当方から請求してヘリで空中から吊り下げて補給してもらいました。ガソリン、軽油は艦艇から供出しました。次に生活用品ですが、乾電池、毛布、トイレットペーパー等多種多岐にわたりました。

――支援、救援活動に当たり、群司令として特に留意、指導されたことは。

福本 「顔の見える支援」を心がけるよう指導しました。例えば、出来るだけ同じ人が同じ所に何度も行く。被災者の希望を聞きに行くのも、年配で相手の気持ちもくみ取れる世間慣れした者を派出する。また、届ける物資にも何かメッセージを書き、心の支えになるよう心がけました。

支援物資は横須賀から補給艦が運び、補給艦から「ぶんご」までヘリで輸送し、「ぶんご」から各艦艇に配布しました。当初は海自の保有している物でしたが、後で救援物資(歯ブラシ、歯磨き等の生活支援が主)が来ました。生活支援は陸路からの支援が可能となるまで継続し、気仙沼沖の孤立した大島(約2500名)の支援は約1か月続きましたが、途中米軍が来ました。

―― 2か月以上にわたる活動中、掃海艦艇に対する燃料、真水等の補給はどのようにされましたのでしょう。

福本 主として「ぶんご」「うらが」の掃海母艦から横付けした掃海艦艇に燃料、真水、生糧品を補給し、「ぶんご」は補給艦「とわだ」との錨泊艦横付けにより真水を受給しました。

――米海軍との日米共同の場面はありましたか。

福本 海自側は1護群が窓口になっていましたので、掃海隊群としては直接ありませんでした。

――奥尻の津波の時は当時の第1掃海隊群旗艦「はやせ」以下掃海艇5隻が出動していますが、その時の教訓は生かされたのでしょうか。

福本 奥尻と違って今回の被災地ははるかに広大で、また海中に潜っても何も見えない状況でした。限られたEOD員の数では無力感がありました。しかし、ゴムボートでがれきをかき分けて進入し、家屋、漁具等のがれきの中にあるご遺体を発見し収容しました。ご遺体に接する経験豊富なEOD員ならではと、奥尻とは違った状況下でよく活躍したと思います。

――掃海部隊は災害派遣の行動期間がずいぶん長かったそうですが。

福本 母港(舞鶴、下関、神戸、佐世保)に1ヶ月半くらい帰れなかった船はいます。しかし、横須賀、函館の補給整備地には10日サイクルで戻しています。

――隊員のメンタルヘルス、士気について。

福本 メンタルヘルスの被害者は今のところ見ていません。今後のケアは必要ですが、掃海部隊はボートの揚げ卸しからご遺体の収容に至るまですべて総員作業でやります。総員が使命感に燃えており、「今やらなければいつやる」「我々の存在価値は今問われている」ことを皆わかっていてくれて、士気は極めて高いと思います。この士気を維持している最大の要素は、被災者からの「ありがとう」という感謝の言葉です。

――被災者からの反応を教えてください。

福本 「ぶんご」と潜水艦救難艦「ちよだ」では、牡鹿半島や三陸沿岸の小さな浜や入り江地区まで行って入浴支援を行い、艦内の風呂に入っていただきましたが、その時被災者の書かれた感想です。
(示された資料の中には感謝とか要望が率直に綴られていたが、その中に、「こんな半島のはずれの部落にあたたかい手を差しのべて頂き本当にありがとうございました。一生忘れることはございません。本当にありがとうございました。」というのもあった。)
 また、気仙沼大島の対策本部長からは、「皆様のおかげで、今の気仙沼大島があります。「ぶんご」が来てくれなかったら、今頃どうなっていたか?本当に、本当にありがとうございました」というお言葉がありました。

――活動中、福島第一原発の爆発等放射能に関するいろんな情報が入ったと思いますが。

福本 掃海艇は木造船で、全て露天で作業するということで放射能の影響を懸念しましたが、行動海域は原発から120km以上離れていましたし、3月13日の出港時点で線量計を十分装備しており、各指揮官所定で放射線を測定しながら不安なく活動出来ました。

――最後に、まだ災害派遣活動は続いていますが、群司令が直接参加された今回の活動を振り返って、ご所見、ご感想をお聞かせ下さい。

福本 まず、普段の訓練の重要性を再認識しました。年に何度か一つの戦術思想の下に動く訓練をしているので、指揮系統の異なる部隊が入っても全て訓練の応用で不安なく任務を遂行できました。
 次に、「安全」というのは戦うため(戦闘力維持のため)にあるということです。活動中MSCが舵脱落、軸損傷の事故(いずれも不可抗力とされた)を起こしましたが、事故を起こせば戦力を半減するという教訓で、蛮勇のみでは任務遂行上不可ということです。

――本日は大変お忙しい中お時間をとっていただき有難うございました。まだ、災害派遣に部隊を派出中ですが、今後とも掃海隊群のご活躍をお祈りします。(了)

(災害派遣の写真は海上自衛隊提供)