3.11から3周年

随想「初動全力、独断専行」(1)
-救助犬出動の教訓から-

山田 道雄
筆者紹介:幹候18期。海上自衛隊幹部学校長、海上幕僚副長を歴任し、平成14年呉地方総監で 退官。元三菱電機(株)顧問。平成17年NPO法人救助犬訓練士協会国内渉外担当、平成21年 にNPO法人「平和と安全ネットワーク」を設立、同理事。救助犬、日赤救急員および防災士の各 種資格を有し活動中。

はじめに

 一般に、人は天変地異に遭遇したようなとっさの場合、「経験していないことはまず実行できない」、「全く知らないことは発想できない」ものです。犬も同様だといわれています。人も犬も平素の訓練によりかなりのことまで実行可能になります。しかし、経験の動物と言われる犬は知識のみから発想することは出来ないと言われていますが、人は断片的な知識からでも体系的、合理的発想が可能です。

 平成23年(2011)3月11日14時46分発生の東日本大震災は、日本が近代国家として遭遇した大震災のうち、地震と津波の規模では大正12年(1923)11時58分発生の関東大震災、平成7年(1995)1月17日5時46分発生の阪神・淡路大震災をはるかに上回りましたが、被害規模については関東大震災の死者13万余人、罹災者280余万人に次ぐものでした。

 私は、阪神・淡路大震災(以下「阪神大震災」)の時は第2護衛隊群司令でしたが、今回の震災では一民間NGOとして災害救助犬チームを率いて発生翌日には現場に出動するという、貴重な体験をすることができました。これまで2回にわたる救助犬による生存者救助活動を通じて私の得た教訓は、一言でいえば「初動全力、独断専行」です。

 先般、海上自衛隊の災害派遣部隊の指揮官を務めた高嶋横須賀地方総監の講話を聴く機会がありましたが、そのサブタイトルに「初動全力」とあり、今回の災害派遣活動のキーワードは「From the Sea」であると述懐されるのを聞いて感銘を深くしました。阪神大震災の反省から当時2護群が独自に考案、演練した「Rescue From the Sea(RFS)」という訓練を思い出したからです。

「波涛」編集子からの求めに応じ、大規模震災における救助犬活動の教訓的なことを中心に、海からの救援活動(RFS)等後輩諸子の参考になればと、海自勤務35年、NPO活動10年の体験をもとに思いつくまま綴ってみることにします。

1 災害救助犬のNPO活動

 災害救助犬のことを初めて意識したのは、10年前にもなりますが呉総監に着任してすぐのことでした。初度巡視で呉造修補給所貯油所のある吉浦に、訓練の行き届いた立派な警備犬(ジャーマンシェパード犬)が20数頭いることを知りました。着任後の最初の仕事が芸予地震に対する災害派遣の撤収命令にサインすることでしたので関心が深かったのでしょう。阪神大震災では海外から災害救助犬が応援に来た事を知っていましたので、自衛隊の警備犬も災害救助犬の訓練をして災害派遣時に一緒に出動すればいいではないかと単純に考えたのです。しかし、警備犬の担当者が調査した限りでは国内には救助犬の訓練所も無く、指導者もいないので訓練は困難ということでした。

 この件はそれ以降立ち消えとなってしまいましたが、その後吉浦で警備犬の仔犬を調達することになり、頼まれて「安芸」号と命名したこともあり、犬には少なからず関心を持つようになりました。

 退官後ジャーマンシェパード犬の仔犬を飼うことになり、その犬を「安芸二号」と名付けました。生後6か月になって訓練を頼んだ安芸二号の訓練士が、偶然「救助犬訓練士協会(RDTA)」という名称のNPO法人に所属していました。この協会の理事長は、日本で3人しかいない国際救助犬連盟(IRO)公認審査員の一人で、救助犬の分野では国内では第一人者、世界でも有数の方でした。間もなくこのNPO法人に入会し、自治体、警察、消防、自衛隊との調整を行う国内渉外担当としてお手伝いをする一方、安芸二号のハンドラーとして国際救助犬試験に挑戦することになりました。

 3歳から本格的に救助犬の訓練を始めて挑戦すること4回、安芸5歳の時、「瓦礫捜索B段階(上級)」に合格することができました。しかも偶々この時の成績が良かったため世界選手権の出場資格を得て、平成19年(2007)秋オーストリアのウィーンまで遠征しました。この大会では入賞は果たせませんでしたが、捜索部門では欧州の難度の高い瓦礫捜索部門で合格することが出来、大きな自信となりました。

 救助犬は、多少適性の有無はありますが、大型、小型また犬種を問わず訓練し、救助犬として使用することが可能です。それはすべての犬が保有する人の何万倍から何億倍ともいわれる嗅覚能力と狩猟本能を利用して訓練するからです。生存しているが動けない人(生体)の発する汗等の臭気や生存兆候(鼓動等)に反応するといわれ、これらを感知すると吠える(咆哮)等の合図でハンドラーに知らせます。従って、現場にいる救助隊員や遺体には原則として反応しません。風の影響にもよりますが、一般にその感知距離は数10m以上です。また、救助犬は人の入れない瓦礫現場でも自由に機動出来るよう訓練しますので、持ち運びに不便な人命探査装置に比べて捜索効率は格段に向上し、簡単に投入できることから生存者の可能性のある現場への初度捜索センサーとして極めて有効です。従って、初動の段階(一般に72時間以内)に集中して投入することが運用上の大原則となります。よく現場に行くと救助犬が来ると生存者も遺体もちゃんと識別して発見してくれると期待されますが、遺体捜索の訓練には腐敗臭等の原臭が必要であり民間では訓練できません。しかし、遺体の捜索はできなくても、限りなく生存者がいないことの最終確認は可能で、部隊の撤収や重機投入の判断材料として活用可能です。

2 救助犬出動の教訓

 安芸二号は平成20年(2008)神奈川県警の嘱託災害救助犬に委嘱され、その年生起した岩手・宮城内陸地震において初めて出動しました。この時は震度6弱の地震が午前8時頃発生、情報収集に努めていましたが、午後になってから行方不明者数名との報道によりNPO法人としての出動を決め、人員4名救助犬4頭車両2台で出動しました。首都高、東北道を約6時間かけて走り、21時過ぎ宮城県栗原市の対策本部に着きました。ボランティアで出動した旨を申告すると副市長が出てきて感謝の言葉を言われましたが、具体的な指示はなく当面待機とされました。そこで、対策本部で夜通し情報収集を行っているとスタッフから救助犬の能力とヘリコプター搭乗の可否について聞かれ話をしているうち、翌早朝ヘリコプターでの現場進出が決まりました。それから2日間、国道上部斜面の崩落現場と温泉旅館の土石流現場の2か所で行方不明者の捜索を実施しましたが、生存者を発見することはできませんでした。しかし、崩落現場では余震の影響で救助隊員が現場に入れない状況でしたが、救助犬の2時間に及ぶ捜索により現場に生存者の可能性が低いという判断で、その現場の捜索は撤収されました。

 今回の東日本大震災に際しては、発生直後から出動準備を行い、翌日の3月12日から17日まで救助犬2チーム(6頭8名)が出動し、宮城県名取市の警察学校を活動拠点として名取市、岩沼市、亘理郡の海岸周辺で捜索活動を実施しました。2年前、安芸二号は7歳で急逝していたため、私は犬を連れない一チームリーダーとして参加しました。捜索中、呼びかけに応じた倒壊家屋の2階に取り残された老夫婦2人を発見、救出しましたが、救助犬による直接の発見はありませんでした 。(※1)

 NGOとして初めて警察庁の依頼により出動したこともあり、往復とも海自MH-53Eヘリに呉からの救助犬チーム(2頭6名)とともに便乗させてもらいました。そのおかげで発生後24時間以内に現地進出を果たすことが出来ましたが、直ちに現場での捜索に移行することにならず、翌日からの捜索開始となりました。警察側の現場の準備が間に合わないということでしたが、大変残念なことでした。この反省としては、何らかの手段で県対策本部に救助犬代表スタッフを派出して混乱錯綜する情報の中から救助犬の運用に適する現場を選定し、捜索救助部隊と帯同させて速やかに投入する着意が必要でした。3年前の宮城での出動では、かなり強引に栗原市の対策本部に居座って救助犬の能力、運用について助言したこともあり救助犬の早期投入に結びつきました。また、7年前の新潟県中越地震の時には12時間以内に現地に進出出来ましたが、対策本部から「待機してください」と言われたきり、最後まで救助犬の出番はありませんでした。これらの経験から得た救助犬出動の教訓は、「①人命救助に王道はない。まず初動全力でいかなる手段を講じてでも現場に速やかに進出すること。②現場進出後は座して命令指示を待つのではなく、情報は自ら収集し採り得る最善の方法を当局に進言しあるいはその余裕がない場合は独断専行する」というものでした。(続く)

(※1) 山田道雄「東日本大震災 災害救助犬出動す」(財団法人水交会「水交」23年5・6月合併号)

  (兵術同好会発行「波涛」平成23年9月号から転載)