3.11から3周年

随想「初動全力、独断専行」(2)
-救助犬出動の教訓から-

山田 道雄
筆者紹介:幹候18期。海上自衛隊幹部学校長、海上幕僚副長を歴任し、平成14年呉地方総監で 退官。元三菱電機(株)顧問。平成17年NPO法人救助犬訓練士協会国内渉外担当、平成21年 にNPO法人「平和と安全ネットワーク」を設立、同理事。救助犬、日赤救急員および防災士の各 種資格を有し活動中。

3 救助犬出動体制への提言とNGOの役割

 今回初めて海上自衛隊(呉造補所貯油所)の警備犬金剛丸号、妙見丸号の2頭が、民間の救助犬チームと一緒に出動、捜索活動をしたことは画期的であり、大変意義深いことでした。というのは、日本の公的機関で「災害救助犬」を保有しているところはなく、わずかに警視庁が国際緊急援助隊用として数頭の警備犬を訓練して災害救助犬として保有しているのみです。海外では、災害救助犬は軍または消防が保有しているのが一般的ですが、日本では消防は保有していません。防衛省は海自・空自で約280頭の警備犬を保有していますが、そのうち救助犬の資格(IRO認定国際救助犬)をもっているのは海自の2頭のみです 。(※2)

 国内の民間にはいわゆる「災害救助犬」は約300頭以上います。しかし、今回海外から41頭の救助犬が派遣されて来ましたが、国内で現場に出動した救助犬の数はそれ以下だと思います。また、国内に統一された認定基準がなくそれぞれの犬関係団体が勝手に基準を作り認定しているため、犬の技能格差が大きいのが現状です。国際的には国際救助犬連盟(IRO)/世界畜犬連盟(FCI)の定めたグローバルスタンダードがあり、これを適用した試験が国内でも行われています。この認定試験には過去9年間で延べ約500頭が受験しましたが、合格犬は海自の2頭を含め延べ約40頭しかいません。

 防災大国といわれる割に大変お粗末な救助犬分野の現状打開を図るべく、今回の大震災を機に我々民間団体は救助犬の育成・出動態勢について政策提言をしています 。(※3)
 それは、①まず国際緊急援助隊チームへの編入を念頭に公的機関(警察、消防、自衛隊等)が国際レベルの救助犬を育成・保有する体制を確立し、②それと並行して国が民間における国際レベルの救助犬の育成・保有を助成、③大規模震災発生の際には、国内はもとより海外への国際緊急援助隊のチームとしても官民一体となって運用できる体制を構築することというものです。

 公的機関が災害救助犬を保有すると言っても決して容易なことではなく、当面は民間の有するKnow howの提供支援を受けて1頭1頭着実に犬を作っていくしか良策はありません。吉浦貯油所の警備犬は2年間の救助犬訓練で見事IRO国際救助犬に認定されましたが、その背景には我々NPO法人との5年間にわたる訓練交流(年1回の合同訓練)がありました。公的機関の救助犬育成に対する支援協力もNGOの果たすべき重要な使命と考えています。

4 三つの大震災に学ぶ

 犬も人も一つの経験を次の経験に生かす動物です。「賢者は歴史に学ぶ」と言われますが、大震災の過去の経験は教訓として生かされたのでしょうか。一言で「大震災」と言っても、その被害規模や様相、国の体制や時代背景、装備品や犬の性能能力の差も当然あります。3つの大震災において何が共通の教訓であり、何が特異な事だったのでしょうか。救助犬分野を含め災害救援活動全般について考察してみます。

○救助犬の初動段階での投入

 大正12年(1923)の関東大震災では、欧米ではすでに救助犬がいたと思いますが、かなり早い時期に在アジア米・英艦隊の救援を受けているものの、救助犬来援の記録はありません 。(※4)また、当時の帝国陸軍には青島攻略の戦利品として独軍から軍用犬を入手し、兵器として研究するため千葉県の歩兵学校に設立した軍犬育成所がありましたが、部隊と一緒に出動したかは不明です。たとえ出動したとしても戒厳令下の治安維持が主任務であり、救助犬としてよりは警備犬として使用されたものと思われます。

 阪神大震災の際は、発生当日スイス大使館から災害救助犬派遣のオファーがありましたが、動物検疫等手続き上で時間がかかり、スイスからの救助犬計12頭が現場に入ったのは結局3日目でした。その結果、遺体は発見しましたが生存者の発見には至りませんでした。当時この件が話題となり、この大震災以降主として民間で救助犬の養成が活発に行われるようになりました。

 この時の教訓を生かして、東日本大震災では海外から8か国41頭の救助犬が来援しましたが、その受け入れや現場への進出上特に大きな問題はなかったようです。この中で、韓国の救助犬2頭が先遣隊として発生翌日の12日には入国していたことは、中国の四川大地震に派遣された日本の国際緊急援助隊の救助犬チームが第2陣に編成されていたことに比べて、特筆に値します。今回各国の救助犬が生存者を発見したという情報はありません。韓国、メキシコは我々NPOと同じ宿舎でしたが、国内の救助犬と同様、救助犬を保有する海外からの援助隊が初動段階で人命救助に適切な現場で運用されたかについては疑問のあるところです。

○第1報に誤報あり:初動全力、独断専行

 今回の震災で出動した我々NPOの仲間は東京や神奈川県内で自ら地震を体験し、緊急地震速報やTV実況中継が素早く行われたため、迷うことなく迅速に出動を決心し、救助犬の「初動全力」を達成することができました。海自はじめ各自衛隊も、その出動については迷うことなく決断され初動全力で対処されています。主要被災県知事からの派遣要請も6分後から約2時間後までの間に出され、防衛省は約3時間後に大規模災害派遣命令を出しています。その結果、自衛隊は出動後3日間で約1万名の被災者を救助しています。
 しかし、俗に「第1報に誤報あり」といわれるように、一般に初動段階では情報不足でかつ信頼性の高い被害情報が含まれていません。

 今日のように通信情報手段が発達していなかった関東大震災の際、旅順近海の泊地で訓練検閲中の連合艦隊は、艦隊向けに放送されたいわゆる「船橋電報」を何通か受信して検閲を中止し、旗艦長門と一部の艦隊は東京湾に直行、他の部隊は佐世保、呉、大坂、神戸等に分散寄港して救援物資を搭載の上、東京、横須賀方面に急行しました。「船橋電報」は東京海軍無線電信所船橋送信所所長の一海軍大尉が独断専行して全海軍に放送した一連の災害情報(発災後12時間以内に4通発信)で、これが実質的に第1報となりました 。(※5)
 空電状況が悪く受信できなかった呉を除き被災地以外の鎮守府、要港部所在の海軍部隊及び青島方面行動中の練習艦隊ではこの電報が官民を通じ有力な情報源となりました。しかし、この船橋電報は新聞電報の最後に放送されたため、受信した連合艦隊では必ずしも信頼性があるものとは受け取られなかったようです。第2艦隊の加藤寛治司令長官は出動準備をしない竹下勇連合艦隊司令長官のもとへ参謀長を派遣し督促しています 。(※6)

 それでも旗艦長門は地震発生5日目に品川沖に到着、翌日早々司令部を海軍省構内に移すとともに同所に陸上無線電信所を開設しています。以後、東京・横浜方面の海上からの救護活動の指揮は連合艦隊司令長官が、横須賀方面の救護活動については横須賀鎮守府司令長官が執ることとなりました。6日目以降、各地で救援物資を搭載した連合艦隊各艦が入港し、8日目には東京方面だけでも20隻以上を数えています。連合艦隊主力が内地にいなかったため被災地到着が遅れましたが、帝国海軍は初動全力で対応したと言えます。その中には、船橋送信所の「独断専行」があり、結果として内外地の海軍部隊のみならず国としての初動体制の確立に貢献したと言えます 。(※7)

 阪神大震災の場合、地震報道の直後TV実況がありましたが、佐世保にいた私をはじめ大方の者は「大したことはない」という印象でした。しかし、呉の官舎で自ら地震の揺れを感じたK呉総監は、15分後阪神基地隊からの報告を当直幕僚からの電話で受け、すぐに非常呼集、災害派遣準備を命令しました。後に、「1分にも満たない短い報告でしたが、私が海上自衛隊に30有余年奉職して以来、これほど素晴らしい報告をしたこともなければ受けたこともありません」と述懐しています。その報告に含まれていた情報は大雑把で必ずしも正確ではなかったと思いますが、指揮官が部隊の行動方針を決心するのに必要かつ十分な内容だったのでしょう。兵庫県知事からの災害派遣要請が行われない状況下、K総監は自衛隊法第83条第2項の但し書きによる災害派遣の要請を待つ暇もない場合を適用し、部隊を派遣しました。阪神大震災の教訓から、その後防衛庁の防災業務計画が修正され、部隊等の長が自主派遣をする基準が定められましたが、当時は自衛隊発足以来この第2項但し書きによって部隊が動いたことがないという、大変バリアーの高いものでした。この時、K総監は「自衛隊の常識」ではなく、神戸市民は自衛隊が救援に来てくれるに違いないと思っているだろう、と「国民の常識」に従って出動を決意したそうです。まさに自分で結果責任をとる決意での「独断専行」でした 。(※8)

 呉地方隊は輸送艦、護衛艦の緊急出港、航空部隊(ヘリコプター)による偵察、修理艦の任務艦への復帰等初動全力で対処し、救援部隊を海上から神戸沖に向かわせました。一方、発生6日目に神戸沖に集結した艦艇15隻のうち自衛艦隊からは8隻で、うち優速かつ乗員数が多く、ヘリコプターを搭載する護衛艦はわずか2隻でした。
 因みに、東日本大震災で発生6日目に三陸・宮城沖に集結した艦艇は自衛艦隊主力の約60隻で護衛艦、掃海艦艇、輸送艦艇、海洋観測艦、試験艦、支援艦等あらゆる艦種にわたっています。単純に被災地の海岸線正面幅からの比較のみで、初動兵力として三陸・宮城沖の60隻に対し神戸沖の15隻が十分過ぎるとは言えないと思います。要はその初動兵力で「何をやるのか」が鍵だと思います。

(※2) 参議院予算委員会における北澤防衛大臣の答弁(23.7.21)
(※3) 特定非営利活動法人 救助犬訓練士協会「東日本大震災に対する出動報告」(23.5.31)
(※4) 発生5日目の9月5日米国アジア艦隊の駆逐艦7隻、英国シナ艦隊の巡洋艦1隻がそれぞれ横浜沖に到着
(※5) 9月1日の15時、19時05分、19時10分、23時13分に放送。15時の電文は「東京今日暴風雨正午ヨリ強震連続横浜大火盛ンニ燃エツツアリ」という簡単なもの
(※6) 加藤寛治大将伝記編纂会「加藤寛治大将伝」(昭和16.5.27)
(※7) 独断で災害情報発信のほか、翌日午後公用使が持参した電報文は、全海軍あてをはじめ政府から各県知事あての罹災地救護命令、陸軍各糧抹廠にあてた罹災地用糧食の輸送命令等を発信処理している。
(※8) 湘南鎌倉生涯現役の会編 講演録「災害発生時の救援活動は」(20.12.1)

  (兵術同好会発行「波涛」平成23年9月号から転載)