みね姉の見た「防人たちの素顔」 その26:知られざる文化財レスキュー隊 
前編:捜索にかける想い

峯 まゆみ

 ごろ、5回目の「3.11」を迎えました。何度も書いてきましたが、かの大地震は、国民の自衛隊に対する見方を大きく変えた出来事となりましたし、自衛隊の様々な活動と貢献は、多くの人の知るところとなっています。しかし、そんな中でもあまり知られていない「陸上自衛隊文化財レスキュー隊」について、前後編の2回にわたって取り上げます。
 かなり自衛隊に詳しい方でも、そんな部隊が存在するのか?と訝しく思われることでしょう。この部隊名は陸上自衛隊に存在する正式なものではなく、震災後に博物館関係者が名付けた部隊名であり、その実態は「第9偵察隊」なのです。彼らが自ら名乗ったのではなく、博物館関係者が名付けたという事実が、関係者の大きな感謝の気持ちが表現されているように、私は感じました。その「文化財レスキュー隊」の活動経緯を、もっとたくさんの人に知って欲しいと思った次第です。
 そもそも第9偵察隊は、部隊の特性から捜索ではなく、偵察や避難所のニーズ把握、夜間巡察等を任務としていたため、捜索活動はできませんでした。そのため、偵察途中で救助を求めてくる住民に「主力部隊が後から来るので待っていて下さい!」と伝えねばならない上に、ご遺体を確認しても、そのまま前に進まなければならず「誰ひとり救うことができていない!」という、隊員さんたちの悲痛な訴えが数多く上がりました。
 そこで、第9偵察隊の隊長は、第3回遺体捜索が行われることを確認された時に、どうしても第9偵察隊としての捜索地域が欲しいと、師団に必死に掛け合われました。その末に、ようやく捜索地域として渡されたのが、私立博物館や図書館が含まれていた陸前高田市だったのだそうです。その時の連隊長から「ここは探し尽くしたので、見つからないかもしれないがよろしく頼む」と言われた地域だったのだそうですが、捜索初日に、家の瓦礫の下から、愛犬を抱きかかえるようなお姿のご遺体を確認することができたのだそうです。ご遺体を警察に引き渡す時には、隊員さん全員が自然と合掌され、隊員さんたちのもやもやした気持ちが、ようやくひとつ取り除かれたとのことでした。
 助けを求める人や確認したご遺体を、任務とは言え、そのまま進まなければなりませんでした。その際、隊員さん達はどうしてもその人達を「見捨てた」と感じてしまうでしょう。その計り知れない苦しみは慮ることができます。自衛隊の作戦行動においては、任務完遂のためには、綿密に計画された行動に乗っ取って動かねばならないので、当然のことながら、現場での感情でその行動を勝手に変えることは許されません。
 しかしそれが、民間人の救助や捜索に係わることであれば、実際に現場で救助を行えないということは、自衛官である以上に人間として非常に辛い決断であることは疑いもないことでしょう。ましてやそれが、国民がまさに苦難に直面しているその場を目の当たりにした自衛官であれば、その苦しみは想像を絶するものがあります。そして、その気持ちは、「自分たちは役に立っていないのではないのではないだろうか・・・」という悔しさや悲しさむなしさに苛まれ、第9偵察隊の方々が、なんとか自分たちの手でも捜索したい!という気持ちが強くなってもなんら不思議なことではないと推察します。ご遺体を確認され、自然に合掌をされた時、ようやく任務における達成感を感じることができたのではないでしょうか。東日本大震災において、ただでさえ凄惨な光景の中での任務に加えて、任務において達成感を感じることができないことや、住民の声に直接応えることができないのは、さらなる精神的な苦痛であったことでしょう。
 そして、その捜索活動が、その後の「文化財レスキュー隊」としての活躍への第一歩となったのです。次回、後編は、その「文化財レスキュー隊」について、具体的にご紹介いたします。