みね姉の見た「防人たちの素顔」 その27:知られざる文化財レスキュー隊 
後編:彼らが守ったもの

峯 まゆみ

 日本大震災に関連した記事をお届けしたところ、今度は熊本で大規模な地震が発生し、たくさんの方が被災されました。皆さま、不安な日々を過ごしていらっしゃることと思います。亡くなられた方におかれましては、心よりご冥福をお祈りいたします。
 今回の地震で、熊本城の「武者返し」で有名な石垣が崩れ落ちました。このように、災害となると、重要な文化財も大きなダメージを受けるものですが、なかなか進まないことが多いようです。実は、こうした文化財保護は、自衛隊の任務には含まれません。原則として、自衛隊ではないといけない理由などが必要で、依頼が来てもそれに応えることはなかなかできないのです。そういう理由から、他にこうした活動を行った部隊が存在しないのですが、第9偵察隊はいったいどのような経緯で文化財保護ができたのでしょうか。
 2日目、博物館の中で何やら捜索している民間人を発見した第9偵察隊は、一斉捜索に協力されている市役所の方々だと思って声をかけたところ、実は、亡くなられた博物館職員の代わりに展示品を捜索していた、元館長や元職員、ボランティア、被災者の方たちでした。彼らは、津波で流され海水に浸かった展示品や文化遺産等と、手作業で探していたので、「何か手伝えることはありませんか」と声をかけられたのだそうです。「とりあえず、瓦礫を取り除いてほしい」とのことで、すぐさま取り掛かり、その日のうちに瓦礫を除去し終えたのだそうですが、それまで、手作業で遅々として進まない作業の中、1日で瓦礫が除去されたことは、彼らにとって、どれほど驚き、感激し、希望となったことでしょう。単に作業が進んだという以上に、大きな喜びであったに違いありません。そして同時に、達成感を求めていた若い隊員さんたちにとっても、大きな意義となったことと思います。
 しかし、さすがに文化財を捜索するという目的では活動できないので、師団長には「館内にはまだ泥が残っていて、遺体捜索が終了していないので、やらせてください」と、隊長はお願いされたのだそうです。つまり、遺体捜索の名目で活動することを決められた、隊長の機転と、それを黙認してくれた師団長の粋な計らいによって、実現したのです。
 博物館の展示品は、土偶や縄文式土器、昆虫の標本、剥製、明治~昭和の生活用品など多岐に渡っていました。発掘された土器片は3センチ四方程度の大きさのものもあり、自衛隊にとっては慣れない作業で、また別の意味で大変だったようです。こうした作業の中で重要なのがスケジュール組ですが、5日被災地で活動したら、3日間休み、訓練含めて中10日で被災地に戻ってまた救助活動という繰り返しで、これはかなり厳しいのではないかと思いました。
 また、第9偵察隊の拠点から目的地までは約1時間かかったのだそうですが、その途中にある幼稚園の園児や先生たちが、車両や軽装甲機動車、オートバイで往復する時に、毎日手を振ってくれたり、毎日、同じ場所で同じ時間に最敬礼してくれる民間人もいらしたそうです。また、近所の幼稚園と小学校の先生と生徒さんが、ベースキャンプの入り口に「自衛隊のみなさんありがとう」と書いた看板を立ててくれていたり、メッセージカードを送ってくれたり、様々な感謝の気持ちが第9偵察隊に届けられました。こういう民間人の暖かい感謝の気持ちは、どれほど隊員さんたちの励みとなったことでしょう。お話しを聞くだけでも涙がでます。
 当時の第9偵察隊の隊長さんは、現在もこの文化財修復保存活動を陰ながら応援されており、ご縁が今もなお、続いているのだそうです。昨年、東京国立博物館において、当時の状況について講演もされました。この時、海水に浸かったものの奇跡的に修復された、日本に3台しか現存しない貴重なリードオルガンによる演奏も行われたそうです。このリードオルガンの演奏はCDで私も聞きましたが、とても優しい音色で、震災から復活する希望そのもののような美しさです。文化財レスキュー隊が救助し守ったものは、失われては取り戻せぬ日本の一部であり、これも、一つの国防の姿ではないでしょうか。
 震災によって、多くの国民の自衛隊に対する評価が大きく変わりました。しかし、次のステップとして、自衛隊の本来の任務は国防であって、災害救助ではない、ということをもっと多くの国民が認識することを切に願います。